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懐かしい名前を聞いたもので・・・ [ネムネコの呟き]

2年ほど前まで、某Q&Aサイトで、常連回答者なるものをやっていた。
そのときの回答者仲間と言うべきヒト――ネムネコ・ファミリ――に
ddtddtddtさんがいた。

某Q&Aサイトが、「教えて◯◯」と「OK屋さん」に分裂したのをキッカケで、ネムネコは回答者から足を洗って、ブログに専念するようになった。この分裂劇がなければ、俺はブログをやっていなかったかもしれないね。

ネムネコは「教えて」で、
ddt³さんは「OK屋さん」だったので、その後の動静をまったくつかめなかったのだけれど、ブラゲロが次のようなコメントを送ってくれた。
 ――ネムネコ・ファミリーの多くは、何故か、「OK屋さん」所属であった。これも回答者をやめたことの一因である――


 こんばんは。

 【Q:神は人間の投影だと言う。では 全知全能もそうか?】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa9228163.html
 
これに ddtddtddt さんが 参戦。久しぶりぶりのぶりです。

 ジャスト・お知らせです。

 by bragelone (2016-09-14 20:47)


ddt³さんとネムネコは、バリバリの理系だから考え方が似ている。
それでも違いがある。
ddt³さんは物理的な意味を重視するけれど、ネムネコは、数学的形式を重視し物理的な意味、解釈などはしないという違いがある。

量子とは何だ?
粒子性と波動性とは何だ?

ネムネコは、こんなことは考えない。
数式、数学的な形式こそ全て。他に何が必要か!!
量子、量子の粒子性、波動性という考え方はは過渡的なもので、定式化された以上、積極的に捨て去るべきだ。

こういった違いがあるんだにゃ。

懐かしいね、ホント。
懐かしいから、踊るケロよ。



分裂直後、
「ネムネコ、OK屋に来い!!」
みたいなリクエストがアチラにあったようだけれど、オレはどちらにも戻る気はないにゃ。


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ddtddtddt

 ネコ先生、お久しぶりです(^^)。

 さいきん見ないと思ったら、そういう事だったんですか。自分は分裂した事にすら、しばらく気づきませんでした。

>数式、数学的な形式こそ全て。他に何が必要か!!

 素朴実在論が大好きな自分としては、「どうしても必要だジョ~、必要だジョ~」・・・バカボンも映画化されるみたいですし(^^;)。

 ともあれ、お元気そうで何よりです。
by ddtddtddt (2017-01-05 15:32) 

bragelone

  ddtddtddt さん。こんにちは。ブラゲロです。

 ねこさんは でーでーてーさんのこのコメントにまだ気づいていないのですかね。

 と ひと言 差し挟みました。
 では では。お元気で。
by bragelone (2017-01-07 21:03) 

nemurineko

2週間ほど、留守をしておりまして、今日、1月10日にこちらに戻ってきました。
そのため、返事が遅れましたが、
ddt³さん、こんばんは。
そして、
お久しぶりです。

このブログを始めたのは、「OK屋」さんと「教えて○○」の分裂後、暫くしてから。
neutralさんに「大昔、自身の楽しみのために、一時期、ファンタジー小説を書いたことがあるんですよ」と言ったところ、
neutralさんに「ならば、公開したらいいんじゃないですか」と言われ、それで、
ネムネコ・ファミリーの皆さんに、私が大昔に書きなぐったファンタジー小説を紹介する場として、このブログを始めたんですよ。
OK屋さんの方は、分裂後、システムはほとんど変わりませんでしたけれど、
「goo」の方は、お礼は400字以内、回答者への補足(説明)は1質問で10回以下、Q&Aのシステムが大きく変わって、突っ込んだ話がまったくできなくなったんですよ。
それに、「ネムネコ・ファミリー」の多くのヒトが「OK屋さん」でしたから、
 ――kantoさん、人の道などを除き、ほとんどが「OK屋さん」の会員だった――
「goo」への質問のレベルが大幅に下がりましたから、質問に回答を寄せる意欲が減退してしまった。
それでも、分裂直後、1ヶ月くらいは人寄せパンダになるべく、回答を寄せたりしていたのですが、哲学カテのレベルの低下は、私一人の力では、如何ともしがたく、
「私が数学カテに回答を寄せていたときに、数学の質問に回答を寄せていたヒトたちもすっかりいなくなったことだし、、オレもそろそろ潮時かな」
ということで、足を洗った、という次第です。
 ――現在も続けているのはTasconさんとstomachホニャララさんくらいかな――

ネムネコ・ファンタジーも残るところあと1作になりましたし、そろそろ、このブログも・・・

なんてことを最近、考えております。

最近、私がもうひとつやっている「ねこ騙し数学」というブログの訪問者数やアクセスランキングが「ねむねこ幻想郷」を越えていますし(^^ゞ

ねこ騙し数学
http://nekodamashi-math.blog.so-net.ne.jp/

ところで、
4月くらいから「数値解析」についての記事を幾つか書こうかと企んでいるのですが、
私は有限要素法や境界要素法を使ったこともなければ、そのプログラムを作ったこともないので、
記事を書いてm(__)m


by nemurineko (2017-01-10 20:26) 

ddtddtddt

 記事ではないんですが、シンプレクティック法っていう面白い数値積分法があるんですよ。これは運動方程式(2階常微分方程式)専用の方法ですが(多自由度可)、本質的に陽解法で非線形にもそのまま使えて、計算手続きは陽的オイラー法とほとんど変わらないのに精度保証がある(無条件安定で解は絶対に発散しない!)という、いつか夢に見た方法です(^^)。

 ただし現在のところ確立されているのは保存系に限られます。万有引力下の3体問題とか計算すると面白いかも知れません。基本的に発散や縮退がないので、かなりの確信を持って数値解を信じる事が出来ます。それに計算手続きが、非常に簡単です。ルンゲクッタなんか見たくなくなります(^^)。

 ※ あんまりな悪条件下では、もちろん発散しますが・・・(^^;)。

[参考URL]
1) ハミルトン力学系のためのシンプレクティック数値積分法,吉田春夫,
https://ir.soken.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=50&order=16&lang=japanese&creator=%E5%90%89%E7%94%B0+%E6%98%A5%E5%A4%AB&page_id=29&block_id=155
2) シンプレクティック積分法について,陰山聡,
http://www.research.kobe-u.ac.jp/csi-viz/members/kageyama/docs/140110a_symplectic_integrator.pdf

[参考文献]
3) 臨時別冊・数理科学,計算物理入門,サイエンス社,2001年9月.

 じつは、保存系のシンプレクティック法を強引に非保存系に拡張したお試し論文を昨日、身内の業界の学会の全国大会に投稿しました。

 どれくらい強引かというと、「本職の数学屋さんが激怒する」・・・くらいです(^^;)。
by ddtddtddt (2017-04-04 18:08) 

bragelone

またまた ブラゲロです。


ねこさん ブログはお休み? 方針の転換?

ヴェリー ビジー?

お元気ですか?




連続体仮説で またけんかしちゃった。
by bragelone (2017-04-12 09:09) 

nemurineko

しばらく留守にしておりましたので、お返事が遅くなってしまいました。

シンプレクティック法なる(微分方程式の)数値積分法は初めて耳にしました。
オイラー法は精度的に論外ですが、数値計算でよく使われるルンゲ=クッタ法ですら、バネの単振動や振り子(線形化したやつ)といった簡単な保存系の力学系でも時間の経過とともにエネルギー保存則からの逸脱が大きくなるそうですから、本当に簡単な――論文をチラリと見たところ時間推進演算子の予測が結構難しそう――手続きで近似計算が可能ならば、非常に興味深いですね。

この欠点を解消する、エネルギー保存則が満たされる「かえる跳び法」(リープ・フロッグ法)と言うものを聞いたことがあります。

リープ・フロッグ法
https://goo.gl/5MFgeu

ウィキペディアの記事によりますと、「かえる跳び法」もシンプレクティック数値積分の一種のようですが、この方法ですと中心差分を使っているようなので、中心差分が悪さをして非線形問題だと時に数値解が発散したり、振動したりしそうですが・・・。

陽解法でありながら、計算が無条件安定というのも魅力ですね。

〜〜〜〜〜
 じつは、保存系のシンプレクティック法を強引に非保存系に拡張したお試し論文を昨日、身内の業界の学会の全国大会に投稿しました。

 どれくらい強引かというと、「本職の数学屋さんが激怒する」・・・くらいです(^^;)。
〜〜〜〜〜
数値計算ですから手法が多少強引でも、数学的に多少の瑕疵があったとしても、それらしい答が常に得られるのならば、問題はないのではないですか(^^ゞ

私は数値計算の専門家ではないのでよくわかりませんが、聞くところによりますと、数値計算は職人芸的なところがあって、何故かわからないけれど、こうすると計算がうまくいく、それまで発散したいた計算がうまく収束するというところがあるようですし(^^)


by nemurineko (2017-05-08 16:01) 

nemurineko

bragelonneさん、こんにちは。

〜〜〜〜〜
ねこさん ブログはお休み? 方針の転換?
ヴェリー ビジー?
お元気ですか?
〜〜〜〜〜〜
コチラの都合でしばらく留守にしておりまして、ブログを更新できませんでした。


☆連続体仮説で またけんかしちゃった。
◇数学の集合論の「濃度」の話ですか?

連続体仮説
連続体仮説(れんぞくたいかせつ、Continuum Hypothesis, CH)とは、可算濃度と連続体濃度の間には他の濃度が存在しないとする仮説。19世紀にゲオルク・カントールによって提唱された。現在の数学で用いられる標準的な枠組みのもとでは「連続体仮説は証明も反証もできない命題である」ということが明確に証明されている。
https://goo.gl/nWvsVB

であるとすれば、この仮説の真偽は不明ですよ。
そして、この仮説を選択するか否かは自由です。

ユークリッド幾何学の平行線公準
「平面上に直線と、直線上に存在しない点が与えられたとき、点を通り直線に平行な直線は与えられた平面に高々1本しか引くことができない」
を認めるか認めないかのように、可算濃度と連続体濃度の間の濃度を認めるかどうかによって違った数学、違った結論になる。
前提が異なっているのですから、結論が異なったとしても驚くに値しないのではないでしょうか。
そして、新たな前提によって得られた結論が納得できない、承服できないのならば、その前提を認めなければいい(^^ゞ
その前提の真偽が証明されないのだから、その前提の有用性が認められない場合、その前提の受け入れを断固拒否するという立場もあるんじゃないでしょうか。

相手の話を真摯に聞くこと、相手の考え方を尊重することは大切だと思いますが、どう考えても納得できないものを無理に受け入れる必要はないでしょう。
「そういう考え方もあるのだ(。でも、私はその考え方に反対だ(^^))」で十分ではないでしょうか。

ところで、どこで喧嘩をなさったのですか?
よろしかったら、教えてくださいm(__)m


by nemurineko (2017-05-08 17:04) 

bragelone

お帰りなさい。

【Q:連続体仮説の扱いは 《非知》ですか? (大澤真幸説への批判です)】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9700259.html

その後 次のような・けんかの続編もあります。
【Q:不完全性定理って 現実から離れた数学としての真理なのか? それとも 現実に即しているのか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9716508.html


オッカムの剃刀に倣いまして。


今日から そうとう暑いです。
by bragelone (2017-05-08 20:15) 

nemurineko

こんばんは。

ゲーデルの不完全性定理については、Web上の記事
「どんな理論体系にも、証明不可能な命題(パラドックス)が必ず存在する。
それは、その理論体系に矛盾がないことを
その理論体系の中で決して証明できないということであり、
つまり、おのれ自身で完結する理論体系は構造的にありえない」
という記述が間違っていると思いますよ。

ペアノ算術などの無矛盾な自然数論を含む理論体系では、真偽を証明できない命題――真偽が定まらないものは命題ではないが(^^ゞ――が少なくともひとつある
というようなことを言っているのであって、自然数論を含まない理論体系にこの定理はそもそも適用できませんよ。

ウィキペディアのゲーデルの不完全性定理の記事にも、
〜〜〜〜〜〜
不完全性定理は「『自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、無矛盾(ω無矛盾)であれば』~」という形の定理である。したがって、自然数論を含まない公理系や、帰納的公理化可能でない理論が完全であっても、不完全性定理とは矛盾しない。
(中略)
プレスバーガー算術は帰納的公理化可能、無矛盾かつ完全である。プレスバーガー算術は加法しか含まない公理系であり、ゲーデル数によるコード化のテクニックを扱えない。そのため、不完全性定理は適用できない。また、実閉体の理論やユークリッド幾何学も完全であり、(直観に反して)算術を含まないため、不完全性定理は適用できない。したがって実閉体の理論は決定可能である。
https://goo.gl/U9Ndmq
〜〜〜〜〜〜
としっかり書いてあります。

しかも、これは数学という人工的なフィクション、虚構の世界での話であって、これを物理学や哲学などの他の学問に安易に適用するなど論外ですよ。

不可知論者などは、自分の考えの論拠にするために、数学のこうした定理を自分に都合がよいように我田引水的に引用しますので、あえてこうしたことを書いてあるのでしょう。

一方、
連続体仮説の扱いは 《非知》ですか? (大澤真幸説への批判です)
の「大澤真幸説」は、まったく意味不明で何を書いてあるのかまったく理解できません。
超越という言葉を使っているようですから、数学の集合論の用語「連続体仮説」を使って、「俗」と「聖」が断絶していると言っているようにようにしか思えません。
そして、この類比、アナロジーが適切かどうかもかなり疑わしいように思います。
こういう文章、考え方は「百害あって一利なし」だと思いますので、読まれないほうがよろしいのではないでしょうか。


by nemurineko (2017-05-08 22:43) 

bragelone

こんばんは。ご説明 ありがとうございます。

大澤真幸は 或る程度の定評がありますので 取り上げないわけには なかなか 行きません。取り上げてもしょうがないと説明できたときには 放っておきます。

不完全性定理。はっきり言ってその定理そのものについては わたしは分かっていません。

問題は 不完全性定理が当てはまる場合と当てはまらない場合とがある。ということではないのですか?

そして そのほかにこの定理を当てはめることのない分野もあって 完全性と無矛盾とがともに成り立つ場合もある・・・ということでしょうか?

そしてそのあとの問題としては:
◇ しかも、これは数学という人工的なフィクション、虚構の世界での話であって、これを物理学や哲学などの他の学問に安易に適用するなど論外ですよ。
☆ ということですが 〔問題としては〕 現実との対応を 数学が・特に形式主義のそれが 保っているか? なのだと思います。

対応から外れたかたちをとったとしたら コントの第三段階が 実証主義という方法のもとに 毛色のちがった形式主義をも別様に派生させている・・・となるのだと思います。
by bragelone (2017-05-08 22:59) 

nemurineko

こんばんは。

〜〜〜〜〜〜
問題は 不完全性定理が当てはまる場合と当てはまらない場合とがある。ということではないのですか?

そして そのほかにこの定理を当てはめることのない分野もあって 完全性と無矛盾とがともに成り立つ場合もある・・・ということでしょうか?
〜〜〜〜〜〜
という理解でよいのではないでしょうか。
すくなくとも私はこのように理解しています。


〜〜〜〜〜〜〜
◇ しかも、これは数学という人工的なフィクション、虚構の世界での話であって、これを物理学や哲学などの他の学問に安易に適用するなど論外ですよ。
☆ ということですが 〔問題としては〕 現実との対応を 数学が・特に形式主義のそれが 保っているか? なのだと思います。
〜〜〜〜〜〜〜
私はもっと即物的に「理論と現実が合っていなければ、理論が間違っている」と考えます。
どんなに数学的に美しく、素晴らしい物理学などの理論やモデルがあったとしても、実際の観測結果と大きく食い違っていたり、その理論に反する観測結果が得られている場合、その理論やモデルは捨て去るべきでしょう。
現実を理論に合わせるというのは本末転倒ですよ(^^)

また、不完全定理が主張する真偽が定まらない数学の命題があったとして、それが数学的にさして重要でない、とるに足らない程度の命題にすぎないことも考えられます。であるので、この問題に神経質になるのも建設的でないのかもしれません。

もっとも、私の哲学は表象主義的で不可知論を含むものですから、たとえ数学の世界であっても、真偽不明の命題があったとしても何の不都合も生じません。
それは神ならぬ不完全な人間の知性の限界として現実を素直に受け入れます(笑)。


by nemurineko (2017-05-09 00:17) 

bragelone

お早うございます。

◇ ~~~~~~~~~
私はもっと即物的に「理論と現実が合っていなければ、理論が間違っている」と考えます。
どんなに数学的に美しく、素晴らしい物理学などの理論やモデルがあったとしても、実際の観測結果と大きく食い違っていたり、その理論に反する観測結果が得られている場合、その理論やモデルは捨て去るべきでしょう。
現実を理論に合わせるというのは本末転倒ですよ(^^)
~~~~~~~~~
☆ こういう立ち場もありなんですか? 分かりやすく共鳴するものですが。


推測で言うんですが コンピュータの場合 イエスかノーかで答えを決めて行くんですよね? どこまでも。

その思考ないし判断の形式に合った論理そしてその論理にもとづく世界モデルや情況モデルは AI が現実と《現実的に》向き合っていると認められる限りで その手法がグローバルに成って行く・・・のではないですか?

簡便法がのさばって行くというような。・・・


あと 《不可知》の定義もやっておきたいです。
by bragelone (2017-05-09 08:13) 

nemurineko

こんばんは。

こんにちは。

☆その思考ないし判断の形式に合った論理そしてその論理にもとづく世界モデルや情況モデルは AI が現実と《現実的に》向き合っていると認められる限りで その手法がグローバルに成って行く・・・のではないですか?
◇AIは新手の、新種の「ラプラスの悪魔」ですか(^^)

ラプラスの悪魔
ラプラスの悪魔(ラプラスのあくま、Laplace's demon)とは、主に近世・近代の物理学の分野で未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念であり、フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱されたもののこと。ラプラスの魔物あるいはラプラスの魔とも呼ばれる。
https://goo.gl/7Gcq0S

それはそれとしまして、
〈世界モデル〉や〈情況モデル〉は、人間が世界や情況を勝手に判断・解釈し、世界を単純化して〈世界〉モデルなどを作り、コンピュータに与えるわけでしょう。ヒトが勝手に描いた仮想的・ヴァーチャルな世界をコンピュータ内に再現していると言ってもいいのでしょう。
そして、この、実在する世界とは異なる、単純化された〈世界モデル〉を前提に、人間が与えた特定の計算手続き・アルゴリズムによってコンピュータや人工知能AIが現象やヒトの振る舞いなどを計算をする、予想する。
だから、
計算量が膨大で人間には事実上この計算ができないので、機械的計算が得意なコンピュータにそれを肩代わりさせているだけ。
ただ、コンピュータの計算量、計算速度が圧倒的で、短時間に人間では事実上不可能な計算を行うことができるので、コンピュータやAIは何かすごいことをやっているように見える・・・。
もっとも、コンピュータは計算機ですから、プログラムなどが間違っていなければ、人間と違って計算を間違えることはありませんが。

将来的には、AIが問題に応じてみずから思考し、人間の助力を一切得ることなく、その問題を解決するアルゴリズム、計算手続きを新たに生み出し、問題を自力ですべて解決するようになるかもしれませんが、これは現段階では絵に描いた餅にすぎず、本当にこのようなAIやシステムを作れるのかどうかすら不明。


また、宇宙(の現象)を支配する根源的な(物理の)方程式が発見されたとします。
そして、この方程式を元に宇宙を正確に再現しようとする場合、ある時刻における宇宙についての全情報を知る必要があります。しかし、ヒトは神やラプラスの悪魔ではありませんからこの情報をすべて知ることはできず、ヒトが得られる情報は限られたものにならざるを得ない。そして、この限られた情報をもとに、「こうではないか」という様々な推測や憶測、仮定を入れて計算をせざるを得なくなる。ここに実際の宇宙とモデル的な宇宙との食い違いが生じる。
これが第1点の問題。

次に、コンピュータを用いて、この情報と根源的な方程式に基づいて、特定の有限時間内に解くことができるのかという問題があります。
これはコンピュータの計算能力の問題ですね。
コンピュータ内に再現された宇宙の1秒後の状態を計算するのに百万年の時間を必要とする、実際の宇宙が終焉する時間、宇宙の寿命よりもその計算に要する時間のほうが長いというのでは、実質、計算できないということと同じですから。

さらに、この計算を行うに必要なコンピュータの電力、エネルギーを我々人類は賄うことができるかという問題が発生します。
現在の世界最高速のスパコンの電力消費量は原発1基分と言われていますから、我々人類は、おそらく、この宇宙を再現するコンピュータ、この計算をするために必要なエネルギーを確保できないでしょうね。

ですから、これらのコンピュータ特有の問題をクリアーするために、つまり、計算量を大きく減らすために、計算精度を犠牲にした粗い計算にならざるを得ない。
どんなに少なく見積もっても太陽系1個分、おそらく数光年くらい、ひょっとしたら銀河1個分くらいのオーダーの誤差は許してもらわないと、とてもじゃないけれど計算は不可能(^^)
そして、数光年オーダーくらいの誤差を小さくするために、根源的な方程式には本来ない様々な仮定、計算モデルを導入し、観測結果との辻褄合わせを行わないといけないでしょう。

これらの理由から、AIによる「新手の、新種のラプラスの悪魔」を生み出すことはできないと思いますね。
せいぜいできるのは、ごく限られた情報と、しかも、粗くて限定的な能力しか有さない新手のラプラスの悪魔。

bragelonneさんの質問に対して、stomachmanさんが
〜〜〜〜〜〜〜
TOE(宇宙の究極の理論)が完成したって私が明日ラーメンを喰いたくなるかどうかを計算するのは不可能である。なぜなら、いくらモデルを「原理的に」記述したって、あまりに迂遠すぎて計算が馬鹿馬鹿しいほど莫大になるんです。
https://goo.gl/eIuzvm
〜〜〜〜〜〜
と書いてあるように、
「私が明日ラーメンを食いたくなるかどうかの確率――量子力学的なものが絡むので確率という言葉を追加――を計算する」
なんてことは土台不可能。

ですから、コンピュータやAIに対する過信は禁物ですよ(^^)


by nemurineko (2017-05-09 19:47) 

bragelone

こんばんは。ご説明をありがとう。

ええっと。わたしは ねこさんの見解に与しているつもりなんです。
◇ ですから、コンピュータや AI に対する過信は禁物ですよ(^^)
☆ と言っても 信用するまでの関心と知識が そもそもないんです いまのところ。

知りたいと思ったのは 次のように《精度》を落として 形式主義的・AI 的な《部分現実》が すでに発車していますしその路線はさまざまに広がって来ているのではないですか? と単純にお聞きしています。

◇ ここに実際の宇宙とモデル的な宇宙との食い違いが生じる。 / これが第1点の問題。
◇ ~~~~~~~
どんなに少なく見積もっても太陽系1個分、おそらく数光年くらい、ひょっとしたら銀河1個分くらいのオーダーの誤差は許してもらわないと、とてもじゃないけれど計算は不可能(^^)
そして、数光年オーダーくらいの誤差を小さくするために、根源的な方程式には本来ない様々な仮定、計算モデルを導入し、観測結果との辻褄合わせを行わないといけないでしょう。
~~~~~~
☆ 見切り発車した路線とダイアグラムが 生活の現実に浸透して来ているのではないか です。

そこんところの微妙な《現実度》というのが わたしにははっきりしないんです。

やらしておけばよい・・・という見方ですか?

by bragelone (2017-05-09 21:18) 

nemurineko

こんばんは。

☆ 見切り発車した路線とダイアグラムが 生活の現実に浸透して来ているのではないか です。
そこんところの微妙な《現実度》というのが わたしにははっきりしないんです。
やらしておけばよい・・・という見方ですか?
◇深く浸透してゆくと、世の中の多くのヒトは〈バーチャル〉と〈リアル〉の境目がなくなってゆき、いわゆる〈ネトゲ廃人〉のようになってしまうのではないでしょうか。

インターネットゲーム依存症 見分け方
https://goo.gl/DiLmQf

この記事を参考にすると、
1 現実世界への関心の低下
2 現実社会からの逃避
3 〈リアルワールド〉よりも〈ヴァーチャルワールド〉の優先
といった現象が起きるのではないでしょうか。

現実がどうであれ、ヒトは基本的に自分が見たいもの聞きたいものしか見たり聞いたりしない生き物。自分好みの情報や考えのみを正しいと考える。
また、往々にして、楽な方へ楽な方へ、危険が少ない安易な方へと流れてゆく。
そして、コンピュータの作るバーチャルな世界を視覚、聴覚などの五感を通じて我々に提供してくる。

プラトンのイデア論を参考にすると、
 コンピュータのつくるヴァーチャルな世界⇔イデアの世界
 現実、リアルな世界⇔不完全なイデアの世界
なんて事態にならないとも限らないんじゃないですか。

現に、ヨーロッパのキリスト教徒たちは、古代から中世にこのような世界を地上に現出させましたしね。


by nemurineko (2017-05-09 22:21) 

bragelone

ううーむ。そういう問題なんですか。

依存症として ヴァーチュアル・リアリティがからむ場合というのは:
◇ ヨーロッパのキリスト教徒たちは、古代から中世にこのような世界を地上に現出させました
☆ という問題だと見ているんですか。

ううーん。だけれど そういうことを言ったら ゴータマ・ブッダの示し遺したヴァーチュアル・リアリティは いまでも一定の割り合いの日本人らをその銀河鉄道か何だかの列車に乗せて運んでいるとも考えられます。お花畑のまぼろしをいまでも見させていると。・・・極論でしょうけれど。

やらしておいてよいとは言えないけれど やるにまかせないと 何も次のステージへとは進まない。・・・といった状態・情況なのでしょうか?


ちなみに 数学の暴走・・・ではないんですね?
by bragelone (2017-05-09 22:39) 

ddtddtddt

 ネコ様へ。

 シンプレクティック法的な発想は、アイデアとして50年くらい前から研究されてたらしく、実用化されたものの代表は「カエル跳び法」です。これは主に電磁場の解析に用いられているらしく、電場と磁場の時間更新を交互に行う(同時には行わない)「カエル跳び」です(^^)。

 シンプレクティック法の本格的整備が始まったのは1980年代で、何度か話題にした、太陽系の生成問題を解くためでした。極端に言えば、宇宙空間のガスや塵の一粒々々に質量を与え、万有引力だけを仮定して、ガス雲から本当に地球や太陽が生成されるか数値計算で試す、というものです(^^;)。

 多少の平均化や換算質量などを用いて自由度を減らし、かつスパコンの性能が向上し、しかも普通の研究者も日常的に使用可能になったのが、間違いなく大きな推進力だったのですが、数10億年という超長時間積分を考えると、例えばオイラー法はあっと言う間に発散するし、ルンゲ・クッタ法はあっと言う間に減衰するしと・・・。

 そこで数値積分法の根本的見直しとして注目されたのが、シンプレクティック法でした。

 シンプレクティック性とは、とりあえず数値解が「厳密に運動方程式を満たす事」、と思って下さい。ただし「厳密な運動方程式」ではありません。運動を近似する運動方程式を厳密に満たす、です(数値解法ですから(^^;)。

 例えばシンプレクティックでない1次のオイラー法は、次のようになります。時間ステップ幅をτとして、ある時刻tの速度v(t)と変位x(t),保存力F(x)が与えられたとします。1次のオイラー法では、

  x(t+τ)=x(t)+τ・v(t)
  v(t+τ)=v(t)+τ・F(x(t))

とやりますよね?。これを良く見てみると等速運動「しながら」等加速度運動してる事になります。このような運動は、運動方程式からすると不可能です。

 一方、最も簡単な1次の陽的シンプレクティック法は、

  x(t+τ)=x(t)+τ・v(t)
  v(t+τ)=v(t)+τ・F(x(t+τ))

となります。「えっ?、何が違うんだ?」ってなりますが、F(x)の中身が違います。

 シンプレクティック法は、等速運動「してから」等加速度運動してます。このような運動は、運動方程式を満たしながら理屈の上では可能です。

 次に、シンプレクティック法の精度はどうなんだ?、と考えてみます。
 シンプレクティック法はオイラー法を、ほんのちょっぴり変えただけなので、局所的精度はほとんどオイラー法と変わらない、τの一次オーダーになるはずです。

 でもシンプレクティック法は、運動方程式をみたすんですよ。本当の運動方程式ではありませんが。しかもF(x)は保存力でした。つまりシンプレクティック法には、「近似的なエネルギー曲線が存在します」。

 近似的なエネルギー曲線は本物から、どの程度ずれるでしょう。算法の局所的精度がτの一次オーダーである限り、エネルギー曲線も局所的に本物から、τの一次オーダー程度しかずれてないはずです。

 このとき単振動のように、エネルギー曲線が閉曲線だったらどうでしょう?。「τが十分小さければ、ほとんどずれてないんじゃないか?」と予想できませんか?(^^)。

 で実際に理論的に計算してみると、「本当にそうだった」という訳です。この事は、単振動程度ならExcelでも使ってすぐ確認できます。

 こうして「いくら計算しても発散も減衰しない」という、シンプレクティック法の「良い性質」が得られます。

 で・・・以上の流れを数学的に系統立てようとすると、「時間推進演算子」・・・になるみたいです。あぁ、読むのが億劫だ(^^;)。

by ddtddtddt (2017-06-28 16:46) 

ddtddtddt

 ネコ様およびbragelone様へ

 現在の無限集合論については、brageloneさんとかなりの回数話しました(主に対角線論法)。その結果は、現在の無限集合論は認識論的にも怪しくトリッキーで、存在論的には全く駄目じゃないか?、という点で意見が一致してると思ってます。

 それは「神の補助線」のように、本当は本物じゃないと知りつつ、導きの糸かガイドラインのようにして「使う」べきものと。

 その時は話題にならなかった連続体仮説ですが、自分にとってそれは、とても魅力的な状況です。数学者の端くれとして(と自分で思ってるだけ(^^;))。

 対角線論法のところで言いましたが、対角線論法では、実数全体の個数と、区間[0,1]に含まれる実数の個数が等しいと考えられる事(あくまで考えられる、だけ)を示した後に、区間[0,1]の実数の個数が可算無限(自然数の個数)なら、矛盾が起きる事を示します。その時に取られる実数の表現手段が、次です。

  0.a1 a2 a3 ・・・

 ここでa1,a2,a3,・・・は0~9数字。anの桁数は可算無限。要するに実数の無限小数展開です。よって区間[0,1]の実数の個数はベタに数えると、可算無限の個数をβで表す事にして、10^βという事になります。これが実数全体の個数です。

 ※本当は可算無限の「個数」とか、言っちゃいけません(^^;)。

 もちろん10^βという個数は、実数の10進展開を使った場合の結果です。でも実数の展開は、2進展開も8進展開も・・・m進展開も可能です。

 ※1進展開はありません。全てが等しくなるので。

 ところで現行の無限集合論(以下、標準理論)の一般定理から、

  2^β=8^β=・・・=m^β

となります。つまり実数全体の個数は、何進展開を使おうと同じなんですよ。そうなると俄然、2^βという表現に注目したくなります。

 集合Aの要素個数がnの時(無限でもかまわない)、標準理論の一般定理からAの部分集合全体の数は、2^nである事を導けます。

 そしてnが無限の場合、2つの無限が等しいかそうでないかは非常に微妙な話になるのですが、再び標準理論の一般定理からn<2^nは、確実に言えます。

 よって自然数全体の個数をβとすると、実数全体の個数2^βは確実にβ<2^βです。

 対角線論法とこの結論との違いは、対角線論法では「実数は自然数より、少なくとも一個多い」としか言えなかったのに対して、2^β/β=∞と言える点です。2^βの事を連続無限と言い、cで表します。

 ※無限大どうしの「割り算」も、本当はやっちゃいけません(^^;)。

 可算無限を考えてみましょう。可算無限とは、有限全体の事です(代表は自然数全体の集合)。では有限と可算無限の間に、有限<亜可算無限<可算無限となる、亜可算無限なんてあるでしょうか?。ないですよね?。

 それは自然数の構成の仕方そのものに根拠があります。人間はそうなるように、自然数を作ったんですよ(ペアノの公理系)。そしてそれは自然数なので(有限の世界なので)、「指折り数える事」によって現実として検証可能なものです。

 ただしそれは算術か算数の分野に入り、数学には入りません。だから誰も証明しようとはしないのですが、じつはヒルベルトの24の数学問題に、「算術の数学化」ってのがあったりするんですよね(^^;)。

 そういう訳で連続体仮説は、cとβの間に「亜連続無限があるのか?」という話しです。従ってそれは、実数の構成法そのものに関わってきます。

 実数の構成法は、無限小数展開に決まってます。人間はそうやって実数を作ったんです。

 ネコさんならご存知かも知れないと思いますが、これは「同値なコーシー列の同値類を一つの実数と同一視する」というコーシーの実数構成法そのもです。そしてこれとデテキントの切断法が論理的に同等である事は、数学的に示す事ができます。

 なのでそう考えると、「連続体仮説の成立」は明らかだと思えます。だって人間は、「そうやって」実数を作ったんだから。しかしこれは、「指折り数えて」実証できません。

 何故なら無限小数展開の桁数nは可算無限で、最初から「指折り数えて実証できる範囲」を超えているからです。

 整理すると、自分は認識論的には「連続体仮説の証明」はすぐに出せます。「人間はそうやって実数を作った」と言えばいいだけだからです。

 しかし実在論的にはできません。何故なら、いくら「人間はそうやって実数を作った」ところで、「亜連続無限はない」なんて一言も言えないからです。自然は「そうなのかも知れない・・・」からです。かつ無限が相手である以上、原理的に実証実験は不可能です。

 そこがたぶん悩みの種なんですよ。実践的な数学者はそんな事、気にもしませんが。だってやるべき事は、ほかにもっとあるんだもの。でも時々は、考えてみるべきだと思う。数学者を自称するなら(^^;)。

by ddtddtddt (2017-06-28 19:18) 

nemurineko

こんばんは。

シンプレティック法の解説、ありがとうございます。
実は、シンプレティック法を紹介していただいたとき、ネットで幾つか解説や論文を斜め読みしたんですよ。
ddt³さんは「簡単だ」と言っていましたが、「時間推進演算子」というものが出てきて、「どこが簡単なんだろう。十分に難しいじゃないか」と思ったんですよ。

それはそれとしまして、ネットでシンプレティック法についてのいい記事を見つけました。
http://www.research.kobe-u.ac.jp/csi-viz/members/kageyama/lectures/H27_latter/Analytical_Mechanics/note_160121a.pdf

たぶん、神戸大学の陰山さんというヒトが書いたものなのでしょうが、この記事は比較的読みやすかったです。具体的な計算例も出ていますしわかりやすかったです。
サンプルプログラムもありましたし、この記事、pdfファイルは大変参考になりました。




by nemurineko (2017-06-28 21:25) 

bragelone

ででてx3さん。

▲(ヰキぺ) 現在の数学で用いられる標準的な枠組みのもとでは「連続体仮説は証明も反証もできない命題である」ということが明確に証明されている。
☆ に対して:
◆  整理すると、自分は認識論的には「連続体仮説の証明」はすぐに出せます。「人間はそうやって実数を作った」と言えばいいだけだからです。
☆ というあたらしい説なんですね。

理解するために まづ次のくだりが 坐り心地がよくないので 問います。二点です。

◆ 何故なら無限小数展開の桁数nは可算無限で、最初から「指折り数えて実証できる範囲」を超えているからです。
☆ 《可算無限》が 《最初から「指折り数えて実証できる範囲」を超えている》となるのですか?

次のくだりと矛盾するような感じに思えるんですが?
◆ それは自然数なので(有限の世界なので)、「指折り数える事」によって現実として検証可能なものです。


◆ ~~~~~~~~~~~
整理すると、自分は認識論的には「連続体仮説の証明」はすぐに出せます。「人間はそうやって実数を作った」と言えばいいだけだからです。
 しかし実在論的にはできません。
(あ) 何故なら、いくら「人間はそうやって実数を作った」ところで、「亜連続無限はない」なんて一言も言えないからです。
(い) 自然は「そうなのかも知れない・・・」からです。
~~~~~~~~~~~~~
☆ (い)が 分かりづらいです。(あ)とどのように連絡していますか?
by bragelone (2017-06-29 00:05) 

ddtddtddt

 brageloneさん、お久しぶりです。

 こういう話題はしばらくぶりだったので、ごちゃごちゃ偉そうにわかりにくい事を書きました。


>☆ というあたらしい説なんですね。

 いや、新説じゃないんです(あせりまくり(^^;))。数学における無限の正式な定義は以下だと、以前お話ししましたが(冗談みたいな定義ですが)、・・・

[定義]
 無限とは、有限でない事を言う。

 ここで有限とは、個々の自然数で表される個数と考えて下さい。上記定義だけだと単一の無限になっちゃう訳ですが(そういう集合論もあります)、これにペアノ公理系(自然数の構成法)を絡めると、

  「可算無限は、有限では数え切れない個数として定義する」

となるように思えるんです。なので、もし亜可算無限があったとしても、定義から可算無限と同じもの、となりませんか?。

 同様に実数の構成法を眺めるとどうも、

  「連続無限は、可算無限では数え切れない個数として定義する」

と言ってるのと同じだと、自分には思えます。なので、亜可算無限があっても、定義より連続無限と同じだと。

 だって、そうなるように作ったんだから・・・(^^;)。ただこれら、「定義より自明!」を認めてしまうと、数学としてはやりようがないんですよね。そういう事情で、用語を間違ったかも知れませんが、連続体仮説は「認識論的には自明」と言いました。

>☆ 《可算無限》が 《最初から「指折り数えて実証できる範囲」を超えている》となるのですか?

 そうです。そのようなものとして定義しました。

>◆ それは自然数なので(有限の世界なので)、「指折り数える事」によって現実として検証可能なものです。

 ☆と◆の対立は、無限集合の気持ち悪さの代表です。 無限集合では、内包と外延が一致しないんです。

  A={x|xの条件}

で集合Aを定義するやり方を、集合の内包的定義と言います。一方、条件に合うものを全て具体的に集めてやって、

  A={○,×,△,・・・}

「ほら見ろ!」とやるやり方を、外延的定義と言います。

 例えば、

  Red={x|xは赤いもの}

として、世界中から赤いものを集めて一か所に集積したとします。その集積が本当に「赤いもの」かどうかを確認するために、個々の物を全て取りあげ調べたら、たぶん全部赤いんです。これは内包を確認する行為です。

 一方、(無限に?)に眼が良いとして、集積全体を一目で見渡し外延的に判断する方法もあります。たぶん集積全体は真っ赤です。

 普通はこのように、内包と外延が一致します。同じ事を自然数全体の集合Nでやってみます。

  N={x|xは有限}

 Nの個々の要素は必ず有限です。「全て」有限です。だって自然数なんだもん(^^)。ところが「有限の全体」という外延は無限です。「有限のものしか集めてないはずなのにぃ~!、・・・(^^;)。なのでアリストテレス(だったかな?)は「無限は矛盾だ。扱うな!、考えるな!」と言いました。

 この事に気づいた時、最初はずいぶん悩みました。そんな事にこだわる奴はたぶん馬鹿なんですが、そこは独学の弱みです。

 結論としては、標準論理(有限の世界の論理)を前提に集合論をやろうとする限り、「それは無限を扱ったからだ」としか言えません。

 こう言うと「それは責任転嫁だ!。何でもかんでも無限のせいにするな!。無限を扱うなら、無限用の論理を用意せよ!」と言い出す輩がいるのですが(対角線論法に矛盾あり、とかの)、たいがい珍妙なものが出来上がります。特に有限集合を扱わせた時に、そこで馬脚を出します。

 そこをまっとうにやって、まっとうな成果を出したのは、ラッセルとブラウアーくらいです。でも非常に苦労したのに、あんまり役に立つものは得られませんでした。


 という訳で、現行の集合論は「全部人間の都合の産物」なんですよ。個人的意見では。

 で実証不可能ですが(全部見れたら有限ですから)、自然が無限を許容していたとして、その実在無限を「人間の都合の産物である集合論」が記述してるなんて、数学で証明できるわけがない。できると言い出したら実在論的にNG。それを正式に言葉にすると、「連続体仮説は、現行の公理系では証明も反証も不可能」になると思います。でも有限と無限の狭間で、非常に魅力的な状況には出会えます。

 そしてそこを忘れて、「定義より自明。連続体仮説を証明した」と思い込んだら、巷で見かける勘違い野郎(マチガッテル系)という訳です。その証明は、連続体仮説をもう一回述べただけで、仮説は仮説で存在論的裏付けはありません。

by ddtddtddt (2017-06-29 12:28) 

nemurineko

ddt³さん、こんにちは。

今日の未明に、1次精度のシンプレクティック法を用いて調和振動子
H=(p²+q²)/2=一定
dq/dt=p
dp/dt=−q
の計算を少しやってみました。

ネムネコ、シンプレクティック法を使って微分方程式の数値積分をする!!
https://goo.gl/bGwdEr

45°、半時計回りに回転させた楕円になるのが気になり、2次精度のシンプレクティック法(?)を用いて計算したところ、かなりいい精度で計算してくれますね。
t=0での初期条件(q,p)=(1,0)、タイムステップをΔt=0.1で計算したところ、厳密解にq=cost、p=−sintにかなり近い値を計算してくれますね。オイラー法やルンゲ・クッタ法などで発生する時間経過に伴う誤差の累積がなさそうなのがいいですね。


by nemurineko (2017-06-29 12:55) 

bragelone

ででてx3さん。

直感だけの・再考抜きの反応です。

▲(ヰキぺ) 現在の数学で用いられる標準的な枠組みのもとでは「連続体仮説は証明も反証もできない命題である」ということが明確に証明されている。
☆ つまり ヰキぺ氏は この命題が《証明されている》と言っています。

しかるに ででてx3さんに言わせれば その証明の中身が 次のようだということですよね。:
◆  で実証不可能ですが(全部見れたら有限ですから)、自然が無限を許容していたとして、その実在無限を「人間の都合の産物である集合論」が記述してるなんて、数学で証明できるわけがない。できると言い出したら実在論的にNG。
☆ つまり 人間が自分の都合で《有限と無限(可能無限だと思いますが)とを分けたけれども 人間に出来るのはその分けたことまでである。つまり 分けているという事態以上のことは 何も言えない》
という中身なのだと。

つまり 証明には成っておらず 最初のお膳立てについての事情説明に終わるのだと。



◆ でも有限と無限の狭間で、非常に魅力的な状況には出会えます。
☆ これはまだ 楽しみにとっておいてあります。(理解進行中)。
by bragelone (2017-06-29 13:44) 

ddtddtddt

 brageloneさん、マジッすか~!。
 そのように受け取られましたかぁ~。
 俺ってそんなに危ないっすかぁ~~ぁぁぁ!。

 再び焦りまくり(^^;)。

 「連続体仮説は証明も反証もできない命題である」ことが証明されるのはOKです。

 そうではなくて「連続体仮説が真である、または偽である事を証明した」と思い込んだら、勘違い野郎です。

 「連続体仮説は証明も反証もできない命題である」を証明したという事は、「無限集合は人間の都合で出来ている」事を、現行の標準数学が自ら認めたと、自分は受け取ります。現行の標準数学が健全である証拠です。

 もっともそのような事が、普通の証明方法で可能であったのは驚きであり、ゲーデルの業績です(コーエンらの基礎を作った)。

 ここで普通の証明方法とは有限手続きの証明です。無限に長い証明は証明とは認めません。もっともゲーデルの証明を、常識的に普通っていうの?って話はありますが(^^;)、たぶんコンピューターにもやらせる事ができます。コンピューターは有限手続きの権化ですから、そういう意味では普通です。
by ddtddtddt (2017-06-29 17:59) 

bragelone

ででてx3さん こんばんは。ねむねこさん お邪魔しています。

いやあ すみません。早とちりだったようですね。

◆ 「連続体仮説は証明も反証もできない命題である」ことが証明されるのはOKです。
◆ ゲーデルの業績です
☆ 証明は証明で しっかりしたものがある。ということですね。それについての文脈のようなものを説明しておられるのでしょうか。


 
◆ そうではなくて「連続体仮説が真である、または偽である事を証明した」と思い込んだら、勘違い野郎です。
☆ この問題をめぐって じつはわたしは もし《非知》という規定のもとに捉えることが出来たなら 次のようになるかも知れないと問うていました。

つまり 連続体仮説は 真であると受け取ることも出来るし 同時にまた 偽であると受け取ることも出来る。と。

そして その受け取りにかんしては 《証明》の問題からはすでに離れていると。つまり 証明がゆるす受け留め方であると。
 
 
じつは まだよく分かっていませんと告白したほうがよいと思います。
濃度の問題になると 哲学的あたまでは何ともしようがないと感じています。
by bragelone (2017-06-29 18:18) 

ddtddtddt

>☆ 証明は証明で しっかりしたものがある。ということですね。それについての文脈のようなものを説明しておられるのでしょうか。

 してません(^^;)。以下は、
  [1]現代論理学と論理思想の基礎,遠藤弘他,八千代出版,1987年.
  [2]皇帝の新しい心,ロジャー・ペンローズ,みすず書房,1994年.
  [3]知の限界,G.J.チャイティン,SiBaccess,2001年.
を参考にしてます。また自分は具体的な形式論理として、ブルバキの数学原論方式しか知りません。

1.ヒルベルトの夢
 19世紀初頭に、集合論が非常に強力な数学的ツールになり得る事がわかります(カントールによる)。何でもかんでも集合で表現できるという万能ツールです。ところが同時に、無限集合論はパラドックスを含む事もわかってしまった。そこで無制限な無限集合ではなく、節度を持った(?)無限集合論の形に最初の集合論は制限され、それが現在の公理的集合論へとつながります。節度のある公理的集合論は、少なくとも無矛盾であろうと、多くの数学者は信じました。

 でも信じただけです。数学は証明してなんぼの世界。ヒルベルトはその点に非常に不満を感じ、数学論理の無矛盾性と完全性の証明を目標とします。ここで完全性とは、公理から導かれた定理は全て正しく、逆に正しい定理は公理から導けるです。でも論理系が矛盾してたら無駄なので、最低でも無矛盾⇒完全が必要で、完全⇒無矛盾まで言えたら完璧です。矛盾とは、ある定理とその否定が、ともに正しいと判定される事態です。無矛盾なら、どちらかだけが正しい。

 その実行手段としてヒルベルトは、超数学を唱えます。たぶん日本語訳の問題なんですが、超数学は全然「超」ではありません(^^;)。

2.命題理論
 形式論理の基礎は命題理論です。そこでは例えば、A⇒B,B⇒Cが定理となったらA⇒Cは定理になる、とかいう事をやります(三段論法の一種)。例えばA⇒Bが「地球人なら宇宙人である」,B⇒Cが「宇宙人なら人間でない」が定理だった(正しかった)とすると、A⇒C「地球人なら人間でない」が定理になります。

 もちろんA⇒C「地球人なら人間でない」は間違いなんですが、この「推論自体は」正しいと命題理論は認めます。つまり命題理論が問題にするのは恒真「関係」だけで、そこにしか興味はありません。
 命題理論は次の4つの公理を持ちます。
  S1:(AouA)⇒A
  S2:A⇒(AouB)
  S3:(AouB)⇒(BouA)
  S4:(A⇒B)⇒((CouA)⇒(CouB))
 ここでA,B,Cは関係式、「ou」は「または」を、「⇒」は「ならば」を表します。S1~S4が恒真「関係」なのはすぐ確認できますが、そこは無矛盾性,完全性の本質ではないと最初に言っておきます。

 で、次の超数学規則を追加します。けっこう爆笑ものですよ(^^)。
  C1:A⇒Bは、~AouBの省略記法。ここで「~」は否定を表す。
  C2:A,B,Cなどには、任意の関係式を代入して良い。
  C3:AとA⇒Bが定理なら、Bは定理(三段論法)。
 どこが「超」数学ですか。当たり前の話ですよね?(^^;)。だから超数学は日本語訳が悪いんですよ。直訳するとメタ数学です。じつはプログラミングの世界にメタ記述という開発手法があります。これはアルゴリズムを書くんではなくて、コンパイラーへの直接指示をさします。C1~C3は人間という生体コンパイラーへの直接指示です。C1~C3は数学ではなく、人間が意味を考えて認めたものだという事です。

 S1~S4は公理ですから、恒真関係である事とは無関係に、S1~S4の:の後の関係式は無条件で定理です。
 例えばC2から、S4のA,B,Cへ、B,C,~Aを形式的に代入した、
  (B⇒C)⇒((~AouB)⇒(~AouC))
は定理です。C1から、~AouB は A⇒Bと、~AouC は A⇒Cと同じなので、
  S5:(B⇒C)⇒((A⇒B)⇒(A⇒C))
は定理になります。こうして三段論法の推移性(?)の「超数学的証明」が可能になります。

  C4:A⇒BとB⇒Cが定理なら、A⇒Cは定理。
(証明)
 何故なら(B⇒C)⇒((A⇒B)⇒(A⇒C))は定理なので、B⇒Cが定理ならC3より(A⇒B)⇒(A⇒C)は定理。B⇒Cが定理ならC3よりA⇒Cが定理。
                        (証明終)
 上記(証明)は超数学的証明であり、C4は超数学の定理です。途中に出てきたS5は数学の定理で、非明示公理と言われます。

 命題理論ではこのようにして、非明示公理と超数学的定理を順次追加して行き、「S1~S4が恒真」だったとすれば可能な「恒真関係」を増殖させます。実際の数学理論ではA1:「無限集合は存在する(無限公理)」などをS1~S4とともに公理として、何が出来るか見ていく訳です。

3.ヒルベルト・プログラム
 A1などについては「それは検証不可能だ。そんなもの認めっから矛盾すんだよ」などと批難の嵐でした。おかげでカントールは鬱病になり自殺します。でもA1のない集合論なんて、速度制限のあるF1みたいなもんで、ほとんど役に立たないんですよ(^^;)。
 この前言った実在無限をカントールの集合論は記述すると、ヒルベルトは信じていたと自分は思いますが、常識的な線に彼は踏みとどまります。それが[A1+A2+・・・+S1~S4]の公理系の無矛盾性と完全性です。

 さっきやったように、論理操作は原理的に完全に追跡可能なので、無矛盾性と完全性の検証はプログラムのアルゴリズム検証と同様に、機械的検証手順に帰着できると考えた訳です。なので有限手続きという事が必須です。
 もちろんそれがなったところで先の批判への答えにはなりません。なりませんが、その(超)数学的証明自体は「字が読めりゃ明らかでしょ?」と(即物的に)言えるものになります。そうすると「A1をどうするかに異論はありますが、認めたとしても何も間違っちゃいません。認めた数学も正しい事になりますよね?」。

 さっきの思いとは裏腹にヒルベルトは、現実を鏡のように写したものだけが数学じゃないとも考えていました。「数学は自由だ!」です。「数学は人間の意志の産物であり、ツールでもある」は私個人の意見です。

 ところがゲーデルは、その制限された目標すら駄目だと証明します(機械的検証手順で)。
by ddtddtddt (2017-07-01 15:08) 

bragelone

こんにちは。

◆ 「数学は自由だ!」 および「数学は人間の意志の産物であり、ツールでもある」
☆ この言わんとするところは 数学は 《近似値で〔現実世界に対して〕勝負する》でしょうか?



理解できていないところが 二点あります。:

◆ S2:A⇒(AouB)
☆ この B は ほかの C や D やの可能性のすべてをふくむという意味ですか?

◆ C1:A⇒Bは、~AouBの省略記法。
☆ なんで? 《否 A か B 》が なんで《 A ならば B 》を示すのか? 

B が真としてみちびかれたとき なお同時に A が共存していてもよいのでは?


初歩のミスは どうぞ好しなに。
by bragelone (2017-07-01 17:48) 

ddtddtddt

 ネコ様へ。好き勝手にbrageloneさんと使ってますが、お許し願えると思ってます(^^;)。

>☆ この言わんとするところは 数学は 《近似値で〔現実世界に対して〕勝負する》でしょうか?
 結局そういう事になるのですが、現実には特に集合論では微妙です。良く、数学のための数学 = 机上の空論って話も出ますが、自分の解釈では数学のための数学は基礎理論です。

 非常に難解な実用理論Aがあった場合「とにかくこうすりゃ~出来るんだ(計算手順だけはわかる)」と言いながら工学系では使います(自分は工学系です)。この時、それの理論的本質を抽出して、(数学者にとって?)わかりやすい基礎理論を作り、Aと同等な実用理論BもCも作れるぞ~、っとなった例はごまんとあります(応用範囲が広がった)。

 基礎理論は実用理論の抽象化なのでいちおう現実との関わりなしでも数学としてやって行けます。また「やってみて様子を見てみにゃ~」・・・結果はわからない訳です(^^;)。そういう意味で数学は自由でなければならないし、ツール(補助線)としての役割を担う必要があると思います。

 無限集合論は、有限範囲では絶対に現実とずれちゃいけません。有限に対する実用理論だからです。有限集合論という分野が実際にあります。その一方で実数論に対する論理的基礎付けとか、連続体仮説とか、数学基礎論の人外魔境も含み、数学のための数学でもあります。

>初歩のミスは どうぞ好しなに。
 自分もいっぱいやります(^^;)。こういう場は、自分がどのように理解(了解)したか?、理解したと思ってるだけなのか?を反省する絶好の場だと思ってます。

>《非知》
 非知については「知りえないもの」くらいの理解しかありませんが、賛成です。「その受け取りにかんしては《証明》の問題からはすでに離れている」。つまりどのような公理系に基づいてなすかを最初に決めないと、数学的な証明は始まらないと。

>☆ この B は ほかの C や D やの可能性のすべてをふくむという意味ですか?
 結局そうです。ここのAとBはブレース・ホルダーという奴で、じつはこれ数学の変数概念と同じです。

  http://e-words.jp/w/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%80.html

 A⇒(AouB)における唯一の制限は、左辺のAにαを代入するなら同時に、右辺のAにもαを代入せよだけです。その際AとBは異なるという制限はないので、Bにαを代入してもOKです。

>☆ なんで? 《否 A か B 》が なんで《 A ならば B 》を示すのか?
B が真としてみちびかれたとき なお同時に A が共存していてもよいのでは?

 「かつ」を「et」で表します。
 ~AouBが、~(A et ~B)すなわち「「Aが成り立ちかつ、Bが成り立たない」という事はない」と同値だから、というのが一般的説明ですが余計わかりにくい気がする(^^;)。

 現在の形式論理は、集合論とともに発展してきました。なので命題理論の段階で既に、後続する述語理論を見越して集合論的発想が潜んでいます。まず関係式ですが、最も簡単なものは、

  xは性質Aを満たす.

の類です。これ述語「満たす」を含むから関係じゃねぇ~だろっ、ていう意見もありますが、ここでは対象を指示すると考えられる対象式「でないもの」くらいに捉えて下さい(^^;)。xは最も簡単な対象式です。上記を省略してA(x)と書きます。
 命題理論は恒真関係だけを扱います。よってA(x)が定理ならA(x)は、全てのxで成立です。ところがA(x)⇒B(x)は一般的には恒真になりません。A(x)⇒B(x)が成り立つとは、xが性質Aを満たした時「必ず」xは性質Bを満たす事、は賛成して頂けると思うのですが、その上で関係A(x)とB(x)の外延集合a,bを想定します。

  a={x|xはA(x)満たす}
  b={x|xはB(x)満たす}

 a,bを想定すると先の関係は、x∈a ⇒ x∈bという事になり(xがaに属すなら、xはbに属す)、これはa⊂bと同じです(bはaを含む)。一般にはaはbをはみ出す部分を持つのでa⊂bにはなりません。aの補集合をa°で表します(a°={x|xはA(x)満たさない})。
 ここでaとbに関する、いわゆるベン図を書いて頂けるとわかりやすいのですが、aがbをはみ出さない場合、すなわちa⊂bの場合、a°∪bは必ず全体集合Xになり、逆も言えます。「∪」は和集合を表し、

  a°∪b={x|xは、~A(x)ouB(x)を満たす}

と書けます。そして暗黙の方針として「一つの集合を与えた時、それと同等な関係を与えたのと同じ」を採用すれば、

  A(x)⇒B(x)が定理(恒真) ⇔ a⊂bが成立
                ⇔ a°∪bが全体集合 ⇔ ~A(x)ouB(x)が定理(恒真)

という発想で、「A⇒Bが成立する事」を定義できる仕掛けになります(^^;)。

 じっさい命題理論に続く述語理論で、自分が一番重要だと思える非明示公理は、

  A⇒(∀x)A

です。

 もちろん全体集合Xは何か?という問題はあります。そこを述語理論に続く集合論で明確にするかというと、じつはしません。しようとするとパラドックス発生になるからです。公理的集合論は、そういう事に関わらずに数学できるようにした安全装置を持つ、人為的仕掛けです。

 安全装置を解除した場合、数学基礎論の人外魔境へと突入します(^^;)。
by ddtddtddt (2017-07-03 10:20) 

bragelone

ででてx3さん。解説をありがとうございます。

§ 1 《 C1:A⇒Bは、~AouBの省略記法。》

☆☆ ~~~~~~~~~~~~~
 ◆ C1:A⇒Bは、~AouBの省略記法。
 ☆ なんで? 《否 A か B 》が なんで《 A ならば B 》を示すのか? 

 B が真としてみちびかれたとき なお同時に A が共存していてもよいのでは?
~~~~~~~~~~~~~
☆ くわしい解説をとにかく読んで 読み終わったらヒラメキを得ました。

この場合の B もプレイス・ホールダーであるのではないか。

つまり:
《 A が成り立つならば B が成り立つ》なる推論についてその中身はどうか? と
問うならば:
《〈 A が成り立たない〉場合にも B あるいは C や D やがそれぞれ成り立つ可能性がある》

これで よいですか?


§ 2 《恒真関係のみを扱う》とは?

じつは 分からないというのみです。

◆ 命題理論が問題にするのは恒真「関係」だけで、そこにしか興味はありません。
☆ あるいは:
◆ 安全装置を解除した場合、数学基礎論の人外魔境へと突入します(^^;)。
☆ 興味がありますが いかんせん 理解が行き届かない。


§ 3 《想定 ないし 仮説法(アブダクション)》の問題?

◆  基礎理論は実用理論の抽象化なのでいちおう現実との関わりなしでも数学としてやって行けます。また「やってみて様子を見てみにゃ~」・・・結果はわからない訳です(^^;)。そういう意味で数学は自由でなければならないし、ツール(補助線)としての役割を担う必要があると思います。
☆ わたしが――《非知》説で大いに使っている――仮説法のことを ほぼそのまま言っているという理解があります。

そして 関連して知りたいのは そういった《自由な推理ないし仮説》のときに いわゆる《飛躍》はありますか? あってもよいと前提されていますか?

§ 4 《現実》との一致? 対応?

◆  無限集合論は、有限範囲では絶対に現実とずれちゃいけません。
☆ この《ずれていない》というその内実は 詳しくどうなのですか?

近似値でもよいのか?
あまりよく知りませんが 《近傍》といった概念もありますね?


§ 5 連続体仮説は 真無限――非知なる神――にかかわるか?

たぶん ででてx3さんは 《参戦》されないでしょうが。いちおう 掲げておきます。
by bragelone (2017-07-03 17:22) 

ddtddtddt

>《〈 A が成り立たない〉場合にも B あるいは C や D やがそれぞれ成り立つ可能性がある》

 期待していた反応とは違う訳ですが(^^;)、上記はその通りです。じっさいBが真(定理)なら、いかなるAに対してもA⇒Bは真となる事を証明できます(正しい結論は、どんな仮定を立てようが、とにかく正しい)。

 同等な事態として、間違った(偽な)仮定からはどんな結論でも出せる,矛盾した論理系においては全ての関係式が真(であり偽)、を示せます。

 いずれにしろA,B,C,D,・・・の外延集合をa,b,c,d,・・・として、a⊂b,a⊂c,a⊂d,・・・であればA⇒B,A⇒C,A⇒D,・・・は恒真ですので、ブレース・ホルダーと言えない事はない。

>◆ 命題理論が問題にするのは恒真「関係」だけで、そこにしか興味はありません。
>◆ 安全装置を解除した場合、数学基礎論の人外魔境へと突入します(^^;)。

 命題理論が「恒真関係だけ」を扱うのは、安全装置ではありません。前の例で言うと、A⇒B「地球人なら宇宙人」とB⇒C「宇宙人なら人間でない」が「正しいとすると」、A⇒C「地球人なら人間でない」が真になりますが、現実との比較テストでA⇒Cは偽である事がわかります。

 この場合、A⇒BかB⇒Cのどちらかが間違っていると、確実に結論できます。論理はそういう風に使って下さいね、というのが形式論理の立場です。

 つまり形式論理では、現実との比較テストが一切割愛されています。そのかわりに、推論の安全性「だけ」は保証しますよ、となります。そのような立場に立つと、意味論を割愛して機械的検証手順である構文論に全てを還元できると思ったからです(ゲーデルが、全ては還元できない事を証明したけれど)。

 それが、

「A1をどうするかに異論はありますが、認めたとしても何も間違っちゃいません。認めた数学も正しい事になりますよね?」

へとつながります。

>そういった《自由な推理ないし仮説》のときに いわゆる《飛躍》はありますか? あってもよいと前提されていますか?

 形式論理(構文論)の枠内で《飛躍》は駄目ですが、あくまでその枠内でです。極端に言うと、証明の過程で意味は考慮されません。一定の構文手続きに従う事だけが求められます。その根拠は、恒真関係だけしか用いない(であろう)から、です。

>☆ この《ずれていない》というその内実は 詳しくどうなのですか?
 集合論の場合、有限世界(有限集合)では一つとしてずれては駄目です。集合論の主要機能の一つは、物を数えるという事の抽象化なので、有限個数すら数えられないなんて、てんで駄目だから。

 幾何学の場合、点や線分を考えますが、大きさのない点や線なんてあるのか?と問われれば、ありませんよそんなもの(大きさがなかったら、見えないし(^^;))。そこは数学的理想化だという誤魔化しが入ります。

 近傍は、位相論の概念です。位相論は極限や連続性を扱いますが、現実をひどく抽象化したものです。しかし位相論の中に現実と対応したモデルを作成した場合、ほとんど現実と見分けがつかなくなるように、非常に注意深く作られています。

>§ 5 連続体仮説は 真無限――非知なる神――にかかわるか?
 たぶん参戦はしません。意味論(存在論?)に興味はありますが、構文論が本業なもので(^^;)。

 ・・・と書いた時、なんかネコさんと自分との関係に似てるなと思いました。ネコさんは物理に数学的形式があれば良いと言う。でも自分はそこに、素朴実在論を見たくなる。
by ddtddtddt (2017-07-06 13:33) 

bragelone

だいたいおしえてもらったみたいですね。

つまり いかんせん 骨格と言うか 大雑把な結論だけ
と言うか。実際の演算などの中身は やはりむつかしい。

連続体仮説やゲーデルの不完全性定理に仮りに文句を言
おうにも 手も足も出ない状態では どうにもなりませ
ん。

こちらは 一たん時を俟ちますが あと どうでしょう?
by bragelone (2017-07-07 11:31) 

ddtddtddt

>つまり いかんせん 骨格と言うか 大雑把な結論だけと言うか。実際の演算などの中身は やはりむつかしい。

 はっきり言って、連続体仮説の独立性の証明などは、具体的にはさすがに全然良く知りません。

 唯一できるかも知れないのは、完全性定理と不完全性定理のやや具体的なスケッチですが(参考文献[1][2][3]による)、やっぱりやりたくないなぁ~(^^;)。
by ddtddtddt (2017-07-10 19:44) 

bragelone

いったん休みましょう。
by bragelone (2017-07-11 07:08) 

ddtddtddt

 brageloneさんへ追伸。

 集合論における安全装置が、どんだけ卑怯(?)なものかという話です(^^;)。論理系の無矛盾性,完全性が証明不可能である事、また集合論の逆理の問題などでの根本原因は「自己言及パラドックス」にあります。その最も簡単で、簡単であるだけに回避困難なものが「ラッセルのパラドックス」です。

 集合論では、集合の要素と集合そのものは区別されます。区別しなければ容易に「自己言及パラドックス」に陥るのは、明白だからです。またこの事から、内包と外延の不一致が起こって良い事にもなります。
 例えば個々の自然数1,2,・・・と、自然数全体の集合N={1,2,・・・}は別物です。同様に個々の有理数と有理数全体の集合Qは別物です。個々の実数と実数全体の集合Rもそうです。これらは「自分自身を要素として含まぬ集合」で、いま見たようにごくありふれた集合です(常識的に定義できる)。それだけでなく数学のほとんど全ては、このごくありふれた集合上で行われます(常識的なんだから、そりゃそうだ)。
 でも集合論が万能ツールである由縁は、何でもかんでも集めてこれるところにあります。なので集合族と呼ばれる「集合の集合」は頻繁に使われます。集合族は実数論なんかでは必須の道具です。そういう訳で究極的には、「「自分自身を要素として含まぬ集合」の集合」を考えたくなります。これをAとします。また対象xが集合Xの要素である事を、x∈Xで表します(xはXに属すると読む)。
 ここでAは、「A∈A」でしょうか?「A∈Aでない」でしょうか?。

 (1)「A∈A」と仮定する。Aの定義より「A∈Aでない」でなければならない。これは(内包的)矛盾。
 (2)「A∈Aでない」と仮定する。Aの定義より「A∈A」でなければならない。これも(外延的)矛盾。

 つまりラッセルは、非常に常識的で安全であろうと思えた状況にも「自己言及パラドックス」を見つけてしまった訳です。じっさいAが「集合である限り」、その要素を集める過程でA自身についても「A∈Aなのか?」「A∈Aでないのか?」をテストしなければならない、からです。

 矛盾の原因が自己言及である以上、そのようなものは「集合を作り得ない」とラッセルは考えます。そして、そのような区別が可能な論理系を作れば良いと。それが階型理論(タイプ理論)で著書「数理原理」として提出します。これは画期的なものでしたが、その論理系は非常に運用が難しく、かつ不満足な結果でもありました。

・世界には何個のものがあるのか
http://www.geocities.jp/mickindex/russell/rsl_other_ai.html

 「数学の命題は意味抜きされた記号に過ぎないのだから、矛盾を引き起こさない限り公理として使える」(ヒルベルトの立場)という考えは、ラッセルにはありません。この人にとっては存在論こそ要に見えます。にも関わらず数学を可能にするために、存在論的に非常に危うい、選択公理,還元公理,無限公理を渋々認めざる得ませんでした。

 選択公理と無限公理は、普通の公理的集合論にもあります。また非常に運用が難しいとは、数学の生産性が落ちる事を意味します。さらにその論理系が無矛盾かつ完全である事も、ラッセルは示しませんでした。もし正しい論理系を作れたなら、存在論的根拠から無矛盾性と完全性は自明だと考えたのかも知れません。
 で、上記のような状況では、実務に携わる普通の数学者には全く興味のないものです。それで「数理原理」は画期的ではあったが、歴史的な意味しかないと言われるのが現在(特にゲーデル以降)では普通です。

 「数理原理」の特徴は還元公理にあります。これは多分に意味論的存在論的主張で、「任意の関係式には、それを形式的に満たす対象式が必ず存在する」と言っているように、個人的には思えます。公理的集合論の無限公理は、いわばラッセルの無限公理+還元公理だと思えます。

・悪循環の原理
http://pweb.sophia.ac.jp/process/society/tetugaku/paradox.html

 さて集合論における安全装置ですが、タイプ理論と還元公理の精神だけかすめ取ったような感じです。そこでは「集合を作り得る関係」が定義されます。「集合を作り得る関係」とは何かと言えば、実質的には選択公理の下に真と考えられる関係式全てです。「自分自身を要素として含まぬ集合」のような矛盾を導く関係式は、真であり偽である事を示せるので、それらは「集合を作り得ない関係」なので「集合なんか考えるな!」となります。
 でも「集合を作り得る関係」かどうかは、やってみなきゃ~わからないし、という事は矛盾が出るまで集合を考え続ける可能性だってある訳です。事前判定については何もありません。実用的には役立たずの、自明な禁止事項を書いただけです。

 それに対してラッセルは、事前判定可能もしくは自己言及耐性を持つ理論を構築しようと、非常な努力を払いました。
by ddtddtddt (2017-07-20 14:57) 

bragelone

ででてx3さん こんにちは。
ねむねこさん こんにちは。またまた ラッセルのパラドクスを出されてしまいました。

◆ ラッセルのパラドックス
☆ は次のわたしのほうのブログで ねむねこさんから 訓練を受けたのでした。http://d.hatena.ne.jp/bragelone/20170321

かろうじてパスし得たようですが 今回のは 鬼コーチのしごきにも似たむつかしさですね。

時間が要ります。

取りあえず 次が分かりません、
◆ 「「自分自身を要素として含まぬ集合」の集合」
☆ つまり:
◆ 自分自身を要素として含まぬ集合
☆ って何ですか? 《ぶらじゅろーぬを含まぬ人間の集合》=A1といった事例ですか?

そうだとして:
◆ A1は、「A1∈A1」でしょうか?「A1∈A1でない」でしょうか?。
☆ となると思うのですが おかしかないですか? 意味を成さないように思えるんですが?

by bragelone (2017-07-21 21:53) 

ddtddtddt

 ででてx3です。

>またまた ラッセルのパラドクスを出されてしまいました。

 ・・・そうだったんですかぁ~。そうとは知らず・・・(^^;)。じつは疑問のポイントがわからなかったのですが。

 「「自分自身を要素として含まぬ集合」の集合」は、
http://d.hatena.ne.jp/bragelone/20170321
にある、

  「自分自身を要素としない集合の集合」

と同じ意味で書いたのですが・・・。

 ちなみに、

  「これだと 定義の仕方の問題だということになるのではないのかなぁ


はその通りですよね。なので実務に携わる数学者は「数学の危機」にあんまり関心を示さなかった、ってのは事実です。

 「駄目なら考えなきゃ良いだけでしょ(公理論的集合論のやり方)」
 「だいたいそんなの使わないし」

・・・と(^^;)。
by ddtddtddt (2017-07-24 13:15) 

bragelone

いやあ こんど初めて 同じ問題だと知りました。

タイプ(型)というのが 《メタ》のことですね。

ふうーう。

冷や汗をぬぐいまして。

◆ ・世界には何個のものがあるのか
☆ これは――わたしなりに――おもしろいですね。

けっきょく いやなことを言うようですが その《何個》が無限だとしても つねに数えられる有限の数なんですね。

たぶん だから 近似値で計算が出来るのではないかと。


なお 筋が違うかも知れませんが わたしが見切り発車した質問があります。
【Q:数の一は人ひとりの存在に対応している。それは 全体の一にも対応するとすれば この世界を超えるものは?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9845597.html


存在論的な数論の問題かなとは思いつつ 勇み足かもしれません。
by bragelone (2017-07-24 15:51) 

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