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第7回 1階常微分方程式の補充問題 [ネコ騙し数学]

第7回 1階常微分方程式の補充問題

 

問題1 次の関数から任意定数ABCを消去して微分方程式を作れ。

  

【解】

(1) y²=Cxの両辺をxで微分すると、

  

よって

  

 

(2) の両辺を微分すると、

  

①、②よりABを求めると、

  

これを代入すると、

  

 

【別解】

行列式を用いてABを消去すると

  

これから、

  

(解答終)

 

 

問題2 次の微分方程式を解け。

  

【解】

(1)

  

a≠bのとき

  dai7-p-siki-001.png

a=bのとき

  

 

(2) 同次形なのでy=txとおき、両辺をxで微分すると、

  

 

(3) 微分方程式y'+xy=0を解くと、

  

y=1y'+xy=xの特殊解だから、y'+xy=xの一般解は

  

 

(4) 両辺にを掛けると、

  

(解答終)

 

 

問題3 次の微分方程式を解け。

 

ここで、

【解】

(1) y=px+p³の両辺をxで微分すると、

  

p'=0すなわち、p=Cのとき、

  

3p²+x=0のとき、

  

だから両辺を2乗して、

  

 

(2) y=2px+p²の両辺をxで微分すると、

  

①をxの微分方程式に書き換えると、

  

両辺にを掛けると

  dai7-p-siki-004.png

p=0のとき、y=0(特異解)。

(解答終)

 


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かざみどり

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。

思想
ベートーヴェンはカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスやプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



ねむりねこさんは夏休み中でしょうが、クラシック音楽の話題ですから戻ってきてからでも。

ベートーヴェンはバガヴァッド・ギーターの影響があるらしいのですが、
その出典と、それからそれは何の曲に影響を与えているのかなどわかりますか。
by かざみどり (2017-08-16 17:24) 

nemurineko

こんばんは。

ベートーヴェンとギーターの関係ですか。
この話は初耳なので、この両者に関係があるのかどうかわからないですね。
ベートーヴェンは、「人間万歳!!」のフランス啓蒙思想の影響を強く受けているので、たぶん、ギーターからは何の影響も受けていないと思いますよ。

ベートーヴェンよりもすこし時代は下がりますが、ショーペンハウアーがギーターに強い関心を示していたことは有名ですよね。自身の思想、哲学がヴェーダの中に記されているということで、自分の哲学の入門書として、彼の哲学をより深く理解するために、ウパニシャッドなどの聖典を読んだほうがよいと言っていたようです。
ただ、ショーペンハウアーの時代、サンスクリットから直接翻訳することはできなかったので、ショーペンハウアーが読んだものはペルシア語からの翻訳であった。
ショーペンハウアーの時代ですらこのような状態でしたから、ベートーヴェンの時代はさらにお粗末な状態だったように思います。したがって、ベートーヴェンが知り得たのは、断片的なものに過ぎなかったでしょう。ですから、思想的な影響は受けていないと思います。

だいたい、「人間万歳!!」、「理性万歳!!」のロマン主義と、バラモン教、仏教などの厭世的な考え方は相容れません。インド教は、程度の差はあれ、どれもこれもペシミズムで、現世否定ですからね〜。
ギーターから、第9の合唱は生まれませんよ。

https://youtu.be/EDB8OVRDdyY


by nemurineko (2017-08-17 23:20) 

Tastenkasten

ベートーヴェンについて。

今まであちこちで注意を喚起しているように、日本語版ウィキペディアはダメです。特に音楽関係の記事は最低。記事の左上に、「ノート」という個所がありますが、そこをクリックしてみると、いかにレベルの低い書き手が、自説の拡散などのために恣意的にこのサイトを利用しようとしているか、いかにどうでもよいことを議論しているかがわかります。ウィキペディアができてからかなりの年月が経つというのに、クラシックを代表するベートーヴェンの記事がいまだにこんな短いものでしかないというのは、まともな書き手が寄り付かないということです。
そこに書かれている個々の事柄は必ずしも誤りではありませんが、知識が表面的でゴシップの域を出ていないので、週刊誌の三文記事と同じです。つまみ食いの知識を、極端に端折った、横着な日本語文でくっつけているので、誤解しか招かない粗悪な記事ですね。

>ベートーヴェンはカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。

この二つの文だけで片付けると、ベートーヴェンについての誤った認識を広めるだけです。2番目の文は内容的にもまちがい。こんな書き方だと、『ミサ・ソレムニス』を作曲しながらそのようなことを口走ったかのように聞こえますが、事実はそうではありません。『ミサ・ソレムニス』を作曲していた頃、ベートーヴェンは甥のカールを、ヨーゼフ・ブレッヒンガーという人が経営する学校に通わせていました。そのためにベートーヴェンは、その近くに引っ越し、学校にもしばしば出入りしていたのです。ベートーヴェンはそこで寛大な扱いを受けていて、何かまずいことを起こしたときは、口止め料などでことが収められたこともあった。その学校の教師の一人に対して言ったとされるのがこの言葉です。

Christus ist doch nichts als ein gekreutzter Jude.
キリストは磔にされた一人のユダヤ人でしかないではないか。

「doch」という言葉は、相手の発言への反論とも取れるので、先にその教師が何か言った可能性が高いと思います。相手の教師ともめごとになり、ベートーヴェンを告発するとまで言い出したので、ブレッヒンガーがその争いを収めました。なので、この発言を『ミサ・ソレムニス』と直接関係づけるのはまちがいです。

参考文献
https://archive.org/stream/ludwigvanbeetho00frimgoog#page/n97/mode/2up

ベートーヴェンの宗教に関する発言はしばしば誤解を招き、師のハイドンからも無神論者といわれたほどですが、ベートーヴェンは啓蒙主義と民主主義の申し子で、教会の権威主義や形式主義を極端に嫌ったのです。ベートーヴェンが受け入れなかったのは、キリストに神性があるという神学の定理で、キリストそのものを侮蔑したわけではないです。ベートーヴェンが「神性」と言うとき、それは啓蒙主義的理想と結びついた個人的な宗教性から育つ普遍神への信仰と自然崇拝です。キリストのことは、「英雄的理想」「苦悩にある手本」と見ていて、

Socrates und Jesus waren mir Muster.
ソクラテスとイエスは、私にとって手本であった。
(出典:1820年の会話帳の記載)

と言っています。苦悩する人間として模範的ではあるが、神性を具現するものではない、という考え方ですね。キリストに神性を認めない、という考え方自体はすでに3世紀にも出ているようですが、異端であり、ベートーヴェンの時代でも、キリストに神性があるという考え方が普通なので、ブレッヒンガーの学校の教師も、そういう前提を当たり前のように話したのではないか、それに対してベートーヴェンがすかさず反論したのではないか、と考えられます。そして、「神」については、日記にこういう言葉があります。

Aus Gott floß alles rein und lauter aus.
神からは、すべてが純粋に混じりけなく流れ出でた。

無神論ではないが、キリスト教的な神の概念にもこだわらないという汎神論的な考え方は、この時代の文学者、音楽家、哲学者に広く見出せるものなので、ベートーヴェンだけが特別とは言えないでしょう。

これは、ロマン主義の思想と深く関係しています。自分のいる場所から飛び出し、大海原へ船出し、広い世界全体を知るべきであるという理想があり、ヘルダーという人物が実際に異国へと旅立ちます。ゲーテはヘルダーの影響を受けていますが、ヘルダーが編訳した『東洋詩人精華集』には13世紀のペルシャの詩も含まれていて、ベートーヴェンはこれを読んでいますし、戯曲『シャンクターラー姫』も読んでいます。世界のすべてを知ろうとするロマン主義の理想は、地理的な広がりだけではなく時代的な広がりにも及ぶので、この時代、ギリシャ語やラテン語の古典の研究も進み、ギリシャ語やラテン語の辞書が編纂されるようになります。ベートーヴェンのギリシャへの興味が、東洋への興味と並行して起きているのも自然なことです。

ベートーヴェンが、ヒンドゥー神話やブラフマー神話、バガヴァッド・ギーターなどのインドの思想や文学に触れていたことは、ベートーヴェンの蔵書や日記の記述からわかっています。日記には、どういうものを読んでいるかということだけでなく、抜き書きがあります。インド思想については、ゲオルク・フォルスターがドイツ語に訳した、ウィリアム・ロバートソン著の『An historical disquisition concerning the knowledge which the ancients had of India』(古代人のインドに関する知識についての歴史的論考)、ヨハン・フリートリッヒ・クロイカー、ヨハン・ゲオルク・フィック共訳による、ウィリアム・ジョーンズ著の『アジアの歴史、古代、芸術、学問、文学に関する論文』全3巻(ヒンドゥーの年代記などを含む)、これへの補遺としてクロイカーが著した、ブラフマンの宗教体系に関する論文などがあります。ウィリアム・ロバートソンの英語のオリジナルはこちら↓
https://archive.org/stream/historicalindia00robe#page/n5/mode/2up

ベートーヴェンの日記には、上記のロバートソンの著書からの抜書きや、バガヴァッド・ギーターからの抜書きがあります。完全に確認できてはいないのですが、ベートーヴェンは、チャールズ・ウィルキンスによるバガヴァッド・ギーターの初の英訳を所有していた可能性があります。チャールズ・ウィルキンスという人は、東インド会社に所属していて、インドに16年ほど滞在し、サンスクリットも学んでいます。ウィルキンスの『ギーター』は、サンスクリットからの翻訳です。
http://lf-oll.s3.amazonaws.com/titles/2369/Wilkins_Bhagvat_Geeta_1785.pdf

そのほかベートーヴェンは、オーストリアの東洋学者、ハンマー・プルクシュタールとも面識があり、1819年2月には、プルクシュタールによるインドの牧歌劇『Dewajani』に作曲することを検討しています。さらには、古代エジプトの神秘宗教にも興味を示しています。

ギリシャに関しては、当時から現在まで読み続けられている、ヨハン・ハインリヒ・フォスの翻訳によるホメロスの『オデュッセー』や『イリアス』のほかに、プルタルコスの伝記やプラトンの『国家』、オウィディウスの作品などを読んでいます。
また、東洋と古代ギリシャとはまた別のものからの影響も重要で、ベートーヴェンはカトリックの洗礼を受けていますが、愛読書の一つに、プロテスタントの神学者、クリストフ・クリスティアン・シュトゥルムの『自然界における神の創造物に関する考察』(1811年)があります。これは、神の認識と崇拝は、自然を通して行われる、というもので、教会という組織を介在させない、神と人間の直接的な関係が絶対に必要であるとする自然哲学で、やはり啓蒙主義の影響のもとにあります。ベートーヴェンは自然を愛し、長時間の散歩を習慣としていました。
このように、東洋の宗教観、古代ギリシャの神話、自然の中に神の存在を見る、といった、より大きな宗教観から、汎神論的傾向が出てくるのだと思います。

具体的に、どの作品にバガヴァッド・ギーターなどからの影響があるのか、という問いは、上のような事情を考えると、あまり特定の作品に結び付けるべきものではないようにも思います。実際、ベートーヴェンが東洋思想にふれていたことは知られていたものの、それからの影響が作品中に見られるか、ということは、長いあいだ問われずに来ました。それを問題にしたのは、メイナード・ソロモンというベートヴェンの研究家ですが、以来、そういう解釈を試みる人も出ています。たとえば、弦楽四重奏曲第12番の第1楽章にそれが表れていると論じている人もいます。Birgit Lodesという学者ですが、その論説のタイトルには、『旅する夢を見た・・・インドへ』となっています。これは、1821年9月10日に、ベートーヴェンがトビアス・ハスリンガーという人に宛てた手紙に書いている実際に見た夢の話の一節の引用で、手紙には、「シリア、インドへ旅し、アラビアへ戻り、ついにはイェルサレムまで行った」とあり、ユーモラスな内容の手紙です。
https://books.google.co.jp/books?id=jWeWBAAAQBAJ&pg=PA131&lpg=PA131&dq=So+tr%C3%A4umte+mir+ich+reiste+nach+indien+beethoven&source=bl&ots=0ixU0ghu9J&sig=OJER_ZyRE0cBIXEzsSUuGe4sgSQ&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwi2lp7IluDVAhVIi7wKHeyNDLkQ6AEITzAH#v=onepage&q=So%20tr%C3%A4umte%20mir%20ich%20reiste%20nach%20indien%20beethoven&f=false

Birgit Lodesが、インドの思想と結びつけて論じている弦楽四重奏曲第12番はこれです。
https://www.youtube.com/watch?v=SgAaU9KZWS0

こういう研究の中には、使われている作曲技法などの具体的な内容と関連付けて論じているものもありますが、結局は解釈の問題なので、賛否はわかれるでしょう。ただ、ベートーヴェンがこういった書物を読み込んでいたのは、創作の時期でいうと、中期から後期へ移行する時期です。ベートーヴェンの後期の作品というのは、それ以前の作品とは全く美学や世界観が違います。この大きな飛躍の時期に、こうしたものに触れていたという事実は無視できません。ウィーン古典派の定型的な形式から大きく踏み出し、対位法や変奏曲形式を使った、長大で、宇宙的な大きさを内包するその作風自体に、東洋的な宗教観、宇宙観が反映されているという見方もできるわけで、そういう意味なら、後期の作品はみな考察の対象になり得ます。当然、第9交響曲もその中に入ることになります。目安としては、作品番号で100あたりが境目になります。交響曲なら第9番、弦楽四重奏曲なら第12番以降、ピアノ・ソナタなら第28番以降、そして、『ミサ・ソレムニス』は非常に重要になります。

なかなか興味深いテーマなので話は尽きませんが、一応ここまでとします。

by Tastenkasten (2017-08-19 00:21) 

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