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今日のアニソン・アーカイブ 東方ヴォーカルから『Wow Wow Scream』 [今日のアニソン・アーカイブ]

今日のアニソン・アーカイブは、「東方ヴォーカル」から『Wow Wow Scream』です。


今日から、ネムネコのアニソン専門ブログ「ねこ騙し数学」で過去に紹介した曲を1曲ずつ「ねむねこ幻想郷」で紹介します。
「ネムネコ、お前、ストックをいっぱい持っているじゃないか。1曲なんてけち臭いことを言うな」
と言われそうですが、1日、1曲だけです。この原則は崩しません!!

なお、この曲の原曲はコチラ↓



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セイラ4 2章の続き2 [セイラ4]

 ホトトギスは、セイラとカイの間に陣取り、カイがセイラに手を出さないように監視していたが、突然、空腹を憶えた。今、何時なのだろう。ホトトギスは、原子時計並みの精度を誇る彼のお腹に右の翼を当てて、時刻を計った。

 日没に近いな。これを見ないで、歌詠みと言えるだろうか。セイラとともに、甲板で沈む夕日を見ながら、愛を語り合おう。何て、僕はロマンティックなんだろう。

 ホトトギスは、そう思い、セイラに甲板に出て夕日を見るように誘った。しかし、セイラの返答はあまりにすげないものであった。

「いや。そんなに見たいのなら、あんた一人が甲板に出てみたらいいでしょう。」

 うら若き乙女がこのような言葉を発して許されるのであろうか。もっと、浪漫的であって然るべきであろう。

 ホトトギスはなおも執拗にセイラに食い下がった。

「見ようよ、セイラ。海に沈む夕日を見ようよ。見ないと、きっと、後で後悔するよ。

 

 かくばかり をかしき夕日 みず渡る あまの舟だに うきと思ほゆ

 

凄い。傑作だ。見ずは、「見ず」と「水」の掛詞で舟の縁語、うきは「浮き」と「憂き」の掛詞で、同じく舟の縁語、さらに思ほゆの「ほ」は、帆の意味を響かせて、舟の縁語。さらに本歌取りもしてある。歌の技巧をこれほどまでに自在に使い、当意即妙の歌を詠むなんて、我ながら自分の才能が恐ろしいよ。僕はとうとう六歌仙をも越えたな。ああ、素晴らしい。」

 次々にわけの分からないことを口走り、ホトトギスが自分の歌に心酔しているのを眺めながら、自分の無知を棚に上げて、ホトトギスに毒づいた。

「わけの分からないことをぶつぶつ言ってんじゃないわよ」

「えっ、この歌の良さが分からないの。折角、僕がセイラのためにこさえたというのに、それはちょっとひどいいんじゃない。ああーん、僕は、一体どうしたらいいのよ。」

 ホトトギスは、セイラを咎めると、いつものように大声を上げて、泣き真似を始めた。

「分かったわよ、見に行ったらいいんでしょう。」

 ホトトギスに根負けして、セイラは、船室から出た。神殿から見える夕日は、陸地に沈むのだが、甲板から見える夕日は、西の空一面を真っ赤に染め上げ、紺碧の海とコントラストをなし、荘厳ささえ漂わしていた。セイラは、海に沈む夕日の壮大さに圧倒されてしまった。何とかその感動を口にしよう、と思うのだが、言葉が一向に口に上ってこなかった。それでも何とか表現しようと試みるのだが、何か言った瞬間、この美しさが失われるようで、いや、この美しさを汚すと言った方が正確であるかもしれない、セイラは、ただ、ぽかんと口を開けて、見守る以外なかった。

 セイラの右肩に止まり、ホトトギスもセイラとその夕日を眺めていた。自称歌詠みのホトトギスは、この感動を早速歌に詠み込もうと、人間が指を折るように、右の翼の羽を折りながら、語調を整え始めた。しかし、幾ら頭を捻ろうが、それを適切に表現することが出来なかった。

 真実の美は人を沈黙させるとは言うが、このままで良いのであろうか。歌詠みとして、こんな雄大な夕日を見て、歌を詠まないなんてことが後世に伝わったなら、末代までの恥ではなかろうか。何としても、読まないといけない。オリジナルでないとしても、たとえ、古人の歌を少し改作しただけであっても、詠まないでいいわけがない。

 ホトトギスは、夕日に関する歌の検索を始めた。しかし、彼はすぐにそれが無駄であることに気づいた。それらは、夕暮れの景色を歌ったものが大部分で、夕日そのものを歌に詠み込んだ作品は皆無に等しかったから。夕暮れ時を歌い込んだ名歌とされる三夕の歌にしても、参考にはならなかった。彼は、小さな声で「うーん」と唸りながら、それでもなんか歌にしようと語呂合わせを始めた。

 

 西の方(かた)に 常世のありと 聞きしかど うき世厭へず ひとし思へば

 

 ちょっと洒落ているけれど、何処にも夕日が出てこないじゃないか。それに厭世的で、全然、ロマンティックじゃない。

 

 あかあかと あかあかあかと あかあかと あかあかあかと 沈む夕日の

 

 駄目だ、駄目だ。これじゃ、盗作だ。最後を、「沈む夕日の」と変えただけじゃないか。でも、もったいないな。水のことを、確か「閼伽(あか)」と言うんだよなあ。

 

 赤々と 燃ゆる夕ひの 消えぬごと なみに消ゆやは 我の思ひも

 

 おお、情熱的で、洒落ているじゃないか。「夕ひ」と「思ひ」の火が波に消えないなんて、洒落ているじゃん。しかも、波が同音で涙の「なみ」を何となく連想させている。偶然だけど、いいじゃない。真っ赤な夕日を読み込むだけじゃなく、その夕陽と、連れないセイラの対応に、涙に暮れている僕の燃えるようなセイラへの恋心を対比させ、さらに「あかあかと」と僕のセイラへの思いが嘘偽りのないものであることを表現している。よし、これにしよう。

 


積分形式のテーラーの定理 [ネコ騙し数学]

積分形式のテーラーの定理

 

関数f(x)は区間I級で、ab∈Iとする。

このとき、

  

が成立する。

この式の右辺を部分積分すると、

  

同様に部分積分すると

  

したがって、

  

さらに、同様にこの操作を続けてゆくと、

  

を導くことができる。

これが、積分形式のテーラーの定理である。

 

微分形式のテーラーの定理は、

  

したがって、積分形式と微分形式のテーラーの定理とではラグランジュの剰余項の表現が異なっている。問題は、この2つが同じものかどうかであろう。

 

積分の第1平均値の定理

関数f(x)g(x)は閉区間[a,b]で連続、かつ、g(x)≧0とする。このとき、

  

が成り立つξが少なくとも1つ存在する。

 

a<bのとき、[a,b]だから、積分の第1平均値の定理より

  

となり、剰余項の表現形式が積分形式と微分形式と異なるもので、同一の定理であることが理解してもらえるのではないだろうか。

 

定理 (積分形式のテーラーの定理)

f(x)が区間I級、a∈I、任意のa∈Iに対し、

  

である。

特に、fI級で、任意のx∈Iならば、任意のx∈I

  

である。

 


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