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ムジナの冒険 15章の終わり [ムジナの冒険]

「かわいい一人娘が木の上から落ちたというのに、失神している私のお腹の上で踊り惚けている親の気が知れないわ。」
 夕食を食べながら、ムジナは真正面にいる父親の顔を上目遣いに見ながらそう毒突いた。
「何のことやら。」
 シャーシャーとしらばっくれる時鳥のその顔付きが、さらに彼女の神経を逆立てした。忌々しそうに視線の先を逸らすと、ムジナはこれ見よがしに自分の体を隣りにいるオコジョに預けた。
 オコジョがもう少し大人で色恋をもう少し理解していたなら、ムジナに気の利いた言葉の一つや二つをかけることもできたであろう。しかし、オコジョは彼女以上にまだ子供で、精神年齢が幼かった。食べることに夢中になっている彼はムジナのその行動に気付くことができなかった。それが、ますます、ムジナの憂鬱を深いものにした。
 天を仰ぎ、彼女はフーと小さく溜め息を吐いた。今度は、彼女のその溜め息に気付き、オコジョが気遣わしげに声をかけた。
「どうした、胸焼けか。」
 何なのよ、この男は。全く話にならないわ。何でこんなさえない男を好きになったのかしら、私。
 ムジナは、呆れた様子で彼の顔に一瞥をくれると、プイと顔を彼から背けた。
「胸焼けじゃないのか。良かった。」
 オコジョの安心した声が彼女の耳に届いた。彼は彼なりに自分のことを気遣ってくれていることを知り、少し気分が晴れた。
「良かったら、これを食べないか。お前のために俺が潜って捕まえた虹鱒だ。」
 ラッコや川獺(かわうそ)が鼬の仲間である。しかも、オコジョは、親友に川獺がおり、その川獺から潜水と魚取りのテクニックを伝授されていた。そんな彼が虹鱒を捕まえることなど、実は朝飯前のことであった。
「生じゃないでしょうね。川魚は海の魚と違って、癖があるから、熱を通さないと、美味しくないのよ。」
「分かっているよ。だから、カイに甘辛く煮付けてもらったんだ。」
 オコジョのその返答を耳にしてから、彼女はようやく顔を正面に向けた。
 何と皿一杯に虹鱒の甘露煮が盛りつけられていた。食欲をそそる、砂糖と醤油の焦げたようなえも言われぬ匂い、飴色の虹鱒の体。それが皿一杯に盛りつけられていたのである。それを目にしたムジナは思わず涎を地面に垂らしてしまった。そのことに気付き、盛大に赤面した後、ムジナはオコジョの耳元に「ありがとう」と囁きかけた。
 青春の一齣のような場面であった。その光景を快く思わないものが一人いた。他ならぬ時鳥である。彼は、ムジナの気が虹鱒の甘露煮からオコジョに逸れている一瞬をつき、その皿を奪い去った。そして、それを一人占めするために、森の中に猛烈な勢いでかけ始めた。
「それは私の物よ。返しなさい、父ちゃん。」
 彼女もその後を追って森の中へと走り出した。取り残される格好になったオコジョは、二人の消え去った当たりを茫然と暫く見守った後、ヤレヤレという表情を浮かべて、彼もまた森の中へと姿を消した。


ムジナの冒険 15章の続き11 [ムジナの冒険]

「何処に行っていたんだ。」
「どこって決まっているじゃない。薪を集めに森に入っていたのよ。」
 時鳥(ほととぎす)は、何もないムジナの背を暫く凝視した後、徐に嘴を開いた。
「じゃあ、お前は何で何も背負っていないんだ。」
 時鳥の疑問は当然のものであった。しかし、ムジナは、仁王立ちしている時鳥の真正面に、何ら悪びれる様子を見せず腰を下ろすと、時鳥の顔を正視して、こう答えた。
「薪を拾っていたら、何処からともなくチョウチョが現れて、私を追い掛け始めたのよ。私がチョウチョを怖がっていることを、父ちゃんはよく知っているでしょう。そのチョウチョから逃げ惑う間に、それまでに拾い集めていた薪を落としてしまったの。」
「人目を忍んで、スケベオコジョと一緒に森の中に入ったんだろう。そして、口に出すだに恥ずかしいことをしたに違いない。嘘でないと言うのならば、父ちゃんの目を見てみろ。」
 だが、ムジナは、「馬鹿らしい。てんで、話にならないわ」と言うと、時鳥のその言葉を取り合おうとしなかった。
「父ちゃんの顔を見られないということは、口にするだに恥ずかしいことをしたに違いない。罰金として、これを貰おうではないか。」
 時鳥は、そう言うと同時に、目にも止まらぬ嘴捌きで彼女の背負っているリュックサックの口を閉じている紐を解くと、リュックサックの中に顔を突っ込み、中から彼女の好物である薄荷飴の袋を一つ取り出した。
「父ちゃん、何をするのよ。薄荷飴を返してよ。」
 ムジナは、当然のこと、時鳥に抗議した。しかし、時鳥は、彼女の反撃を恐れて毛の枝に退避し、木の下で激しく罵るムジナの言葉を聞き流していた。
 犬は木登りが苦手であるが、同じイヌ科に属しながらムジナは木登りが得意であった。そこで、彼女は狙いを定めると、猛烈な勢いで木を上りはじめ、今にも嘴で袋を開き中の薄荷飴を食べようとする時鳥に迫った。
「ふん、馬鹿め。」
 彼の体を横薙ぎにしようとするムジナの右足の一撃を、ピョンと強く上空に飛び上がって紙一重のところで交わしすと、時鳥は、彼女を嘲笑うかのようにムジナの頭の上にひらりと舞い降りた。そして、そこで能天気な歌を口ずさみながら奇妙な舞を始め、彼女をさらに愚弄した。
 時鳥のその行動に逆上し、すっかり冷静さを失ったムジナは、頭の上の時鳥を振り落とそうと、勢い良く頭から木の幹に突進を始めた。
 前後の見境のないムジナの攻撃に、一瞬時鳥は怯んだ様子を見せたものの、彼女の頭が木にまさに衝突しようとした瞬間、後方に飛び退いた。
 ガツンという鈍い音とともに、彼女の目の前には色鮮やかな星が幾つも現れた。それから少し遅れて、激しい痛みが頭のてっぺんに襲い掛かった。彼女は、その激痛に耐え兼ね、木の上で悶絶し、そして枝から地面に落ちた。
 人間なら、死なないまでも打ち所が悪ければ大怪我をするような高さからの落下であった。背中から地面に真っさかさまに落下し、ムジナは背中を激しく地面に打ちつけた。肺の中の空気をゲフッと吐き出すと、そのまま意識を失ってしまった。
「これが我が子かと思うと、情けなくて、涙が出てきそうだ。」
 腹を天に向け、大の字に伸びているムジナの上に、ピョンと飛び乗り、忌々しげに吐き出すようにそう呟いた時鳥は、我が子を心配するような素振りを微塵も見せず、薄荷飴を一つ口の中に入れると、そこで能天気に勝利の舞を踊り始めた。


ムジナの冒険 15章の続き10 [ムジナの冒険]

「ムジナ、その花を棄てろ。」
 突然、そのようなことを言われても、せっかく見付けた綺麗な花を理由もなく棄てるわけにはいかなかった。ムジナは、間髪置かず「嫌よ」と、強い口調で突っ撥ねた。
「俺が考えるに、その蝶はお前の頭にある花に惹きつけられ、お前の後を追いまわしているんだ。だから、騙されたと思って、その花を早く棄てるんだ。」
 蝶が花の蜜を食糧としていることくらいのことは知っていたが、シティー派のムジナは、蝶の生態を良く知らなかった。しかも、父親である時鳥から「蝶は様々な厄介な病気を媒介する恐ろしい昆虫だから近付いてはいけない」と教えこまれており、これまで蝶を詳しく観察したことがなかった。そのため、オコジョの話を俄かに信じる気にならなかった。しかし、蝶を追い払う他のいい方策はなく、そこで、彼女は、蝶への恐怖心からオコジョの助言に従うことにし、頭に翳していた花を地面に投げ捨てた。
 その瞬間、これまで彼女を執拗に追い回していた蝶が、それを止め、地面に落ちた花の上に止まった。そして、長い口を伸ばすと、陶然とした表情を浮かべ、その蜜を味わい始めた。
「この花の蜜は猫にとってのマタタビのようなものなのだろう。」
「きっとそうね。」
 ムジナは、暫く遠巻きに蝶のその姿を見詰めた後、オコジョにそう相槌を打った。そして、恐る恐る蝶の様子を窺いながら、ゆっくりとオコジョに近付き、隣りに腰を下ろした。
「で、どうして、お前はこんなに蝶を怖がるんだ。」
「だって、チョウチョは厄介な病気を一杯持っているわ。伝染(うつ)ったら、大変じゃない。」
「毒を持った蝶や蝶の鱗粉でかぶれる奴は確かにいるけれと、蝶は病気なんか持っていないぞ。小鳥が平気で蝶を食べているのだから、間違いない。で、お前は誰からそんなでたらめを教えられたんだ。」
「父ちゃん。」
 ムジナは、オコジョの顔を正視して、そう答えた。ムジナのその表情が妙におかしく見え、オコジョは、思わず仰向けにひっくり返ると、そのまま、お腹を抱えて笑い始めた。
「お前は、父ちゃんに担がれているんだ。」
 オコジョのその指摘を受け、ムジナは「ひょっとしたら、その通りなのかもしれない」と思った。しかし、蝶への恐怖心がすぐに打ち払える筈がなかった。ムジナは、「フン」と言ってオコジョから顔を背けた。
「だからって、そんなに面白がることないでしょう。」
「これで、機嫌を直してくれないか。」
 そう言うと、オコジョが彼女の目の前に丸々と太った芋虫を差し出した。
 その芋虫は、鮮やか緑色で、黒い角のような突起が頭部にあった。さらに、目のような真っ赤な斑点が頭部にあった。
「綺麗な芋虫ね。ねえ、これは食べられるの。」
「食べられないことはないが、あまり美味しくはないぞ。」
「そうなの。それは残念。丸々と太っているから、美味しいのかと思ったのに。」
「それより、この芋虫が大きくなると蝶になるんだ。」
 オコジョの粗言葉を聞くと、ムジナは、「えっ」と大声を上げ、後退(あとずさ)りしてしまった。
「早く棄ててよ、そんな気持ちの悪いもの。」
「これから分かるように、蝶は安全な生き物だよ。」
「そうかしら。」
 ムジナは、オコジョに対する不信感を露にしつつ、ゆっくりと地面をはい回っている巨大芋虫の観察を始めた。そして、蟻がその芋虫に近付こうとした時、その芋虫が何とも形容し難い不快な匂いを発した。
「毒ガスじゃない。何処が安全な生き物なのよ。いい加減なことを言わないでよ。」
 ムジナは、その言葉を残し、その場を去っていった。

ムジナの冒険 15章の続き9 [ムジナの冒険]

 その花の放つ甘い香につられたのであろうか。何処からか大きな蝶が現れ、ムジナの頭に止まり、花の蜜を吸い始めた。
 平和で牧歌的な光景である。見る者の心を和ませる美しい光景であったが、頭の上を蝶に止まられた当の本人のムジナは堪ったものではなかった。というのは、彼女は、父親である時鳥から、「蝶は数多くの厄介な病気を媒介するから、その姿が美しいからといって、近くに近寄ってはいけない。まして、食べようとなど考えてはいけない」と教え込まれていたからである。そのため、ムジナは年頃の女の子に相応しいかわいらしい声で「キャー」と悲鳴を上げて、その場にへたり込んでしまった。
「どうしたんだ、ムジナ。突然大きな声を上げて、一体、何が起きたのだ。」
 けたたましいばかりの悲鳴に驚き、オコジョがそう尋ねた。
「頭に、頭に、蝶が止まったのよ。お願いだから、何とかして。」
 蝶に驚くなど、野生育ちのオコジョには信じられなかった。それどころか、自分を担かつごうとしているのかもしれないと考え、胡散臭そうな表情を浮かべた。
「粉っぽい上に食べる所も少ない。おまけに食べても美味しくない。だから、誰も蝶なんか見向きもしないけれど、蝶をなんでお前は怖がるんだ。怖がったふりをして、俺を担ごうとしているのか。」
「そんなことを言わないで、早くこの蝶を追っ払ってよ。お願いだから、追っ払ってよ。」
 ムジナの涙交じりの声を耳にし、彼女が真実蝶を怖がっていることにようやく気付いた。「やれやれ、困ったお嬢さんだ」と、口には出さなかったものの、ムジナが蝶ごときを恐がることに呆れながら、彼女の頭の上に止まっている蝶を追い払おうとした。
 その優雅な姿から人はついついチョウチョをか弱い生き物と考えがちである。しかし、その外見に似合わず、実は結構気の強い生き物である。
 ムジナの上に止まっている蝶もその例に漏れず気の強い性格をしていた。相手は雑食性のオコジョであり、捕まえられて食べられる危険性を有しているにもかかわらず、追い払うために右の前肢を上げて蝶の方に差し出そうとすると、鬼神もかくもと思うほど恐ろしい眼光でオコジョの顔を睨みつけた。
 いくら気が強いと言っても所詮は蝶であった。羽の燐粉の中に有害成分が含まれることもあるが、大概の蝶は無害であり、恐れるに足らない存在である。命知らずとも無謀ともいえる行動であったけれど、有無を言わさないその蝶の圧倒的な気迫に怯み、反射的に差し出した手を引っ込めてしまった。
「何をしているのよ、早く蝶を追っ払ってよ。」
 非難するようなムジナの涙声に促がされ、オコジョは再び右の前肢を恐る恐る蝶の止まっているムジナの頭に伸ばそうとした。その機先を制するかのように、蝶は飛び立つと、オコジョの顔を目掛け突進してきた。
「何なんだ、この蝶は。」
 すんでのことで蝶の突進を交わしたオコジョは、通り過ぎた蝶を睨み付けながら、そう毒突いた。その罵声に反応したというわけではなかろうが、蝶は中で態勢を整えると、再びオコジョに向かって突進してきた。
 蝶などの小動物を怖がるのは女子供の所業。一人前の男である自分が高々蝶に虞(おそれ)をなしたなど、他人に知られたら恥ずかしくて外を歩けない。しかも今彼の目の前にいるのは恋人であるムジナであり、虚勢であっても恰好を付ける必要があった。オコジョは逃げるわけにもいかず、迎撃の体勢を取ろうと、身構えた。しかし、そんな彼を嘲笑うかのように彼の頭上で蝶は大きく旋回すると、オコジョを無視し、ムジナに再接近を試みた。
 キャーと、女の子らしい黄色い悲鳴を上げながら逃げまわっているムジナの姿を見詰めながら、オコジョは何故蝶がムジナにここまで執着するのかについて考え始めた。
 見掛けによらず蝶が気の強い昆虫であることは知っているけれど、捕食者である哺乳動物に喧嘩を売るという話は聞いたことがなかった。何か深い理由があるに違いない。
 そう考え、ムジナの頭を見てみると、彼女の頭には一本の花が刺さっていた。
 ひょっとしたら、その花に秘密があるのかもしれない。
 オコジョは、そう考えた。


ムジナの冒険 15章の続き8 [ムジナの冒険]

 その日の宿泊地は、天気が良く雨の心配がないこともあって、水の便が良い川沿いの地が選ばれた。
 テントが張られると、横目でそれを確認した後、ムジナは薪を集めるために森に入ろうとした。彼女のその行動の真意を量りかね、オコジョがこう声をかけてきた。
「一人で森の中に入るのは危険だぞ。」
 自然の森ならば熊や狼といった危険な大型に哺乳類が潜んでいる可能性ががあるが、ムジナの入ろうとする林は、人工林であり、毒蛇などの一部の例外除けば、比較的安全であった。しかも、ムジナは、これまで何度となく生命を危険に曝すような修羅場を経験し、自らの身の処し方を身につけていたし、もし、彼女の身に危険が迫るような危険がこの森で潜んでいるのならば、父親である時鳥が制止の言葉を彼女にかける筈であった。それがないということは、彼女の生命を脅かすような危険が待ち受けていないことの証明であり、恐れる理由がなかったのである。
 だが、そうしたことを、オコジョは知らなかった。そして、絶えず生命の危険に身を曝しているオコジョが、用心深いのは当然であった。だが、彼の老婆心が彼女の目にはいささか滑稽に見えた。しかし、そうして気色をオコジョに見せたら、純情で正義感の強いオコジョの気持ちを傷付けることになり兼ねない。そこで、ムジナはオコジョにこう誘いをかけた。
「これから煮炊用の薪を集めに行くんだけど、良かったら、一緒に行かない。」
 恋人のムジナと二人っきりになれる絶好の機会であり、オコジョが断わる理由がなかった。「森は危険だから、か弱い女の子のお前を一人やる訳にはいかない。しょうがない、ついて行ってやるか」と、如何にも迷惑そうに言った後、彼女の後を追いかけて林の中に入って行った。
 若い恋人同士の初々しいその姿に誰しも目を細めるであろうが、一羽だけその姿が不愉快な物に思えた存在がいた。彼女の父親である時鳥である。
 変態鼬がかわいい一人娘のムジナを連れ込み、口にするだに恥ずかしい行為をして、辱めるにちがいない。そう思うと、居ても立ってもいられない気分であった。そこで、時鳥は、二人に気付かれないように、こっそりと後をつけようと決心した。
 しかし、なかなか思い通りにことが運ばないのが浮世の定めである。晩ご飯のおかずの足しにでもなればと思って垂れていた釣り糸に、突然、当たりがあったのだ。釣竿を握る両方の翼にずしりと来る重みから、それがかなりの大物であることは間違いがなかった。娘の後を追うべきか、はたまた、この大物を釣り上げるべきかで、彼の心は千々に乱れた。そして、熟慮の末に、今日の晩ご飯のおかずになるであろう魚を釣り上げることを決断し、魚と激しい格闘を開始した。
 一方、森に薪集めに入ったムジナは、暫く煮炊きに使えそうな枯れ木を物色したものの、適当な物が殆ど落ちていなかったので、本来の目的を忘れ、綺麗な花を集め始めた。女の子らしくてかわいらしいと言えなくもないのだが、ムジナのその姿を呆れ気味に眺めたオコジョは、溜め息交じりにこう呟いた。
「これだから女子供は困るんだよな。」
「オコジョ、良く聞こえなかったんだけど、今、何て言ったの。女子供がどうのと言ったようだけど、何て言ったの。」
 自分に関係のない話なら大声で叫んでも聞こえない振りをするのに、自分が何らかの形でもかかわっていると途端に良く聞こえるムジナの都合の好い耳に半ば呆れ半ば感心した様子で、「何でもない。独り言だから、気にする必要はない」と言って、彼女の替わりに薪を拾い続けた。オコジョの多大な貢献のお陰で必要量をすぐに集めることができた。オコジョは、ムジナの背負子に薪を乗せ、それを背負い、今にも倒れそうにヨロヨロとよろめきながら、彼女の後を追い始めた。
「重いんじゃない。だったら、私が替わろうか。」
「大丈夫。お前が優しいのは分かるけれど、程々にしないと厭味に聞こえるぞ。さあ、そんなことより、早くテントに戻ろうぜ。」
「そうね。父ちゃんが心配するといけないものね。」
 ムジナは、足元にある一輪の花を摘むと、それを頭に差し、キャンプ地へと歩み始めた。

ムジナの冒険 15章の続き7 [ムジナの冒険]

 ムジナは、早速その袋からドクダミ飴を一つ取り出そうとした。これまで嗅いだことのない悪臭に遭遇し、さしものムジナも一瞬たじろいだ。そして、ほら言わんことじゃないと言いたそうなオコジョの顔をちらりと一瞥した後、時鳥に厳しい表情を向けた。
「随分と酷い匂いがするけれど、本当に美味しいんでしょうね。」
「古来より、匂いのきつい食べ物ほど美味しいとされている。心配は無用。大きな口を開けて、ガブッとしてみろ。」
 一理あるわねと思ったものの、時鳥のその発言をそのまま全て信じることはできなかった。食べるべきか、食べざるべきか、クンクンと取り出した飴の匂いの匂いを嗅ぎながら、ムジナは暫く思案した。だが、一人で食べる決心がつかず、隣りにいる恋人のオコジョにこう声をかけた。
「あんたも飴玉は大好物でしょう。一緒にドクダミ飴を食べよう。」
 突然、火の粉が自分の方に降りかかり、オコジョはぎょっとした表情を浮かべた。しかし、ここで引いたら、男が廃る。そう考えたオコジョは、コクリと頷き、彼女が取り出したドクダミ飴を口に含んだ。それを目にしたムジナも、思い切って、ドクダミ飴を口に入れた。
 それは、その匂いにも増して、恐るべき味をしていた。飴とは名ばかりで、ドクダミだけではなく様々な薬草の成分が入り乱れ、この世の物とは信じられないほどの複雑な味がした。渋味、苦味、エグ味に相俟って、少しでも飲み易いようにと加えられたのか、水飴の甘さが更にそれらを際立たせ、形容のし難い味をしていた。
 美味しいのか、まずいのかさえ判じかね、ムジナは隣りのオコジョの顔を覗き込んだ。
「ねえ、オコジョ。これって美味しいの。」
「良く分からんが、俺はこの味嫌いじゃないぞ。」
 自然育ちのオコジョと自分とでは味覚が違うのかもしれないと考え、ムジナは、ドクダミ飴をさらに一つ袋から取り出すと、両方の前肢でそれを挟み持ち、カイに手渡した。
「ねえ、ねえ、カイ、これを食べてみて。そして、これが美味しいのか美味しくないのか、教えて。」
 彼女のその行動が何を意味するのか、容易に察することが出来た。そして、カイは、彼女の勧めるままにドクダミ飴を口の中に入れようとした。
 この飴が人間の口に合うとは考え難いが、たとえそれがどのような物であろうと、その出所が自分である以上、不倶戴天の仇であるカイに渡すことは出来なかった。時鳥は、カイが今まさに口の中に入れようとしたとき、そのドクダミ飴を信じ難いスピードで奪い取ると、それを『馬』の下に持っていった。
「時鳥マークのドクダミ飴だ。味の方は今一つかもしれないが、数多くの薬草成分が中に入っていて、体には良いぞ。」
 牛でありながら「馬」と名付けられたことを皮切りに、これまでに数え切れないほど時鳥から責め苛まれてきたので、できることならば関わり合いになりたくなかったが、無下に拒絶すると、どのような酷い目に会わされるか予測するできなかった。馬は、仕方がなく、時鳥に命ぜられるままにそのドクダミ飴を口に入れた。
 時鳥やムジナの口に合わないドクダミ飴であったが、不思議なことに『馬』の口には合った。馬は、「モーモー」と鳴き声を盛んに上げ、それが美味であることを告げた。
「見てみろ、父ちゃんの話に嘘はなかったろう。分かったら、これ以降は、父ちゃんの話に素直に耳を傾けることだな。」


ムジナの冒険 15章の続き6 [ムジナの冒険]

 彼女が温帯育ちであったら、ドクダミがどのような植物であるのか、その匂いがどのようなものであるか、知っていたであろう。だが、熱帯生まれで、王都育ちという一般のムジナとは違う生活をこれまでに送っていたために、彼女にはドクダミに関する知識がなかった。とは言え、彼女も奸智に長けた時鳥の一人娘である、ドクダミという言葉にただならぬものを感じ、ホトトギスの体にさらに犬歯を突き立て、こう問い掛けた。
「ドクダミって、随分と物騒な名前じゃない。名前に毒の文字がついているようだけれど、食べたらお腹が痛くなるとか、危険な食べ物じゃないの。そうでなければ、けちな父ちゃんが物惜しみすることなくくれるとは考え難いわ。そうなんでしょう、父ちゃん。」
「ドクダミは、遥か東方の国で珍重されている薬草の一つで、一週間服用を続けると、血液がさらさらになり、女性の天敵、便秘が解消されると言う優れものだ。何だ、たかが糞詰まりじゃない、とお前は思うかもしれないが、糞が長時間大腸に留まることによって、悪玉菌が大繁殖し、様々な毒素を大腸の中に撒き散らす。それが原因で大腸癌になることもあるし、そこまでいかなくても、肌荒れや吹き出物の原因になる。お前がいつまでも若々しい肌を保ち、綺麗でいたいと願うのなら、ドクダミ飴を舐めることだな。どうだ、悪い話ではないだろう。」
 便秘は人間の女性にとって永遠の悩みの一つである。便秘で苦しむ女性が世にどれだけいることであろうか。ムジナは、毎日、たっぷりとウンチをし、便秘の悩みとは無縁であったけれど、お年頃のムジナにとって毛並みの美しさと美肌は最大の関心事の一つであった。それ故に、時鳥の言う若々しい肌という言葉に強く反応した。
「父ちゃん、本当のドクダミ飴を舐めると、お肌がすべすべになるのね。」
「父ちゃんの言葉に嘘はない。ドクダミ飴を舐め続ければ、白磁のように白くて肌理(きめ)の細かい肌になること間違いなしだ。しかも、毛艶も良くなる。悪い話ではないと思うが、どうだ。」
 ムジナが二つ返事で答えようととしたとき、時鳥とムジナの遣り取りの一部始終をそれまで黙って見ていたオコジョが待ったの言葉をかけた。
「都会育ちのムジナは知らないだろうが、ドクダミと言ったらすごい匂いがするんだぞ。それだけじゃないぞ。毛虫さえ、その葉っぱを避けて通るほどだ。ムジナ、その野郎の口車に乗るんじゃない。」
 実の子供のご飯さえ平気な顔をして横取りし、それを、これ見よがしに食べる時鳥と、恋人のオコジョとでは土台勝負にならなかった。
「いたいけな我が子を騙そうとするなんて、信じられないわ。それでも、父ちゃんは私の父ちゃんなの。」
 ムジナの猛抗議に時鳥は動揺する気色を微塵も見せることがなかった。ムジナの口汚なく浴びせ掛ける言葉を何処吹く風と聞き流しながら、彼女の罵倒が止むのを待ったから、落ち着き払った口調で「生まれた森のこと以外何も知らないお馬鹿な鼬(いたち)の言葉と、ありとあらゆる学問に精通している父ちゃんの言葉のどちらが正しいかなど、言わずもがなだな。分かったら、さあ父ちゃんの体を口から放すのだ」と言った。
 しばし、どちらの言葉を信じるべきか悩んだものの、ムジナは恋人であるオコジョの言葉を信じることにした。そして、言葉ではなく、鋭い犬歯を時鳥の体に突き立てることで返事の替わりにした。
「痛、痛。親不孝者め。親に何ってことをするんだ。」
「かわいい子供を騙そうとするから、こんな目に会うのよ。さあ、問答の時間はとうに過ぎたわ。抹茶飴を渡して貰おうじゃない。」
 地上最強の時鳥の金看板を有し殺しても死なない不死身の肉体を有している時鳥にとって、高々ムジナなど竜に戦いを挑む羽虫同然の存在であり、取るに足らない存在でしか過ぎなかった。自力でもってこの絶体絶命の状態から易々と抜け出すこともできたが、時鳥の身勝手な行動のためにムジナの不信感をかつてないほど買っており、これ以上ムジナの不評を買ったら、親子断絶という最悪の状態に突入する虞があり、強硬手段に訴えることはできなかった。とは言え、ホトトギスマークの常連に感謝の気持ちを現すために、利益還元の一環として期間限定で発売される採算を度外視した抹茶飴をりムジナに与えるなど、猫に小判、豚に真珠であった。そこで、時鳥は一芝居打つことにした。
 時鳥は、肩から提げているポシェットの中からこげ茶色のドクダミ飴を一つ取り出すと、これ見よがしにそれを自分の口に放り込んだ。そして、わざとらしい大声を出した。
「抹茶飴の美味しさも捨て難いが、このドクダミ飴の味はまた格別だ。美味しさだけではなく美容と健康にもいいのに、もったいないことだ。まあ、物の価値の分からない子供にこのドクダミ飴をやらないで済むかと思えば、かえって良かったのかもしれないが。」
 美食家を自負し事実そうである時鳥が「美味しい」と言うのだから、まずい筈がない。これまでの経験でそのことを知っているムジナは、時鳥の大きな独り言を無視することができなかった。しかも、美容と健康に良いというのだから、なおのことであった。年頃の娘として、その言葉を看過できなかった。
「本当にドクダミ茶は美味しいのでしょうね。美味しくなかったら、許さないからね。」
「父ちゃんがかわいい一人娘のお前に嘘を吐くものか。古歌に、『瓜食めば、子供思ほゆ。栗食めば、ましてしのばゆ』とある通り、親というのは本当に愚かな生き物で、たまさか美味しいものを食べた時など、このご馳走を子供に食べさせてやりたいとまず思うものだ。さあ、分かったら、父ちゃんの体を放し、ドクダミ飴を受け取るんだな。」
 時鳥のその言葉に多少の胡散臭さは感じたものの、ムジナは、時鳥の言葉を信じることにした。彼女は、しっかりと銜えていた時鳥の体を口から放し、地面に静かに降ろした。
「さあ、約束よ、父ちゃん。ドクダミ飴を渡して貰おうじゃない。」
「少し惜しいような気もするが、子供にやるんだから惜しくはない。さあ、受け取れ。」
 時鳥はそう言うと袋一杯煮詰まったドクダミ飴をムジナの目の前に置いた。

ムジナの冒険 15章の続き5 [ムジナの冒険]

 薄荷飴の残りも、だいぶ少なくなってきていた。このため、ムジナは一日に一粒だけ舐めているのであった。その虎の子といえる薄荷飴を、海のものとも山のものとも分からない飴玉と交換するなど論外であった。ムジナは、時鳥の意地の悪いその提案をきっぱりと断わった。
「冗談は顔だけにしてよ。さあ、しのご言っていないで、早くその飴を私に渡すのよ。」
 目の中に入れても痛くないほど溺愛している一人娘であったが、時鳥は、ただ甘やかすだけではなかった。世の中が甘くないことを、身をもって教え込むために、時鳥は、ムジナのその言葉に耳を傾けようとはしなかった。抹茶飴で泣くのを止めた、彼のお気に入りのウィノナの右肩に止まると、そこで、ウィノナとともに抹茶飴を味わった。
 さて、一般に広く出回っている煎茶と比べ、抹茶に含まれるカフェインの量はさらに多い。小さな子供が夜にコーヒーを飲んだために目がさえて眠れなくなるのと同じように、抹茶飴を舐めたウィノナの体から疲れが一気に吹き飛んだ。
「親分、この飴とっても不思議ね。舐めただけで、疲れが吹っ飛んでしまうんだから。」
「そうだろう、そうだろう。」
 時鳥は、満足そうに頷き返すと、素直な心根のウィノナの頭を優しく撫で始めた。
 二人のその様子は、まるで実の親子のようであった。その姿をムジナが快く思う筈がなかった。ムジナは、背負っているリュックサックの中から食べかけのクラッカーを一つ取り出すと、それを無造作に地面に投げた。
 時鳥にとって婚約者兼恋人であるセイラの次に大切なのが食べ物であった。それが誰の物であろうと、時鳥にとって食べ物は大切な物なのであった。たとえ色とりどりの黴(かび)が全面を覆い尽くしていようが、湿気ってとても食べられる状態でなかったとしても、命の源である大切な食べ物を粗末にするなど時鳥にとって論外であった。それ故に、ムジナのこの蛮行を目にした時鳥は、「何てもったいないことをするんだ」と言う前に、殆ど反射的に今まさに地面に落ちようとするクラッカーに向かい一直線に飛びかかり、地面すれすれの所でそれをキャッチした。
 ムジナはその瞬間を待ち受けていた。彼女は、時鳥が見せた一瞬の隙を見逃さず、彼の背後から襲いかかった。そして、鋭い犬歯でがっちりと彼の体を捕捉した。
「父ちゃん、年貢の納め時よ。ウィノナに上げた飴と同じ飴を私に渡して貰おうじゃない。一つじゃないわ、袋ごと渡して貰おうじゃない。」
 傍目で見れば、時鳥の絶体絶命のピンチのように思えるであろう。しかし、時鳥は、微塵も動ずるところを見せなかった。それどころか、落ち着き払った声で、ムジナにこう切り返した。
「お前の幸せだけを願い、日夜頑張っている父ちゃんにこんなひどいことをして、良心が痛まないのか。今なら、許してやる。さあ早く父ちゃんの体を放すのだ。」
「実の娘より、よその子供を可愛がるような父ちゃんにそんなことを言われる筋合いはないわ。さあ、早く私に飴玉の入った袋を渡して貰おうじゃない。じゃないと、生命の保証はできないわ。」
 さすが親子と言うべきであろうか。その後、時鳥とムジナは、暫くの間、お互いの中傷合戦を繰り返した。しかし、、このままでは埒が明かないことに気がついたムジナは、主導権を握っているのは自分であることを思い出し、時鳥の体に突き立てている犬歯に少し力を込めた。
「私は本気よ。さあ、痛い思いをする前に飴玉を私に渡しなさい。」
 時鳥と同様、その一人娘であるムジナにも穏当な常識は通用しない。相手が誰であろうと、たとえその相手が愛すべき父親であろうと、一度公言したことは遣り通す。それがムジナであった。彼女のその言葉が嘘でないことを証するように、返答に詰まっている間にも、容赦のない彼女の鋭い犬歯が体に食い込んでいた。
 このままでは、ムジナに噛み殺されてしまう。
 そう判断した時鳥は、彼としては珍しく、妥協案を彼女に提示した。
「抹茶飴は貴重品で、お前に全てをやる訳にはいかない。その代わりと言ってはなんだが、抹茶飴と同時に届けられたドクダミ飴はどうだ。これも、抹茶飴と甲乙がつけがたい、なかなかの美味だぞ。」

ムジナの冒険 15章の続き4 [ムジナの冒険]

「ウィノナ。こっちにおいで。」
 カイの柔和な微笑みに誘われ、ウィノナはカイに近付いた。そして、控え目にカイの膝の上に腰を下ろした。
 旅を始めた頃は、カイに対する関心はあったものの、はにかんで遠巻きにカイを見るだけであったが、今では時鳥の次に好きなのがカイであった。年齢の割りにおませなウィノナは、カイに気に入ってもらおうと、おすましをして、座っていた。ウィノナの健気なその姿に目を細めながら、カイは「ウィノナこれ食べる」と言って、彼女にクッキーを差し出した。
 セイラの次に食べることを愛する時鳥がこれを見逃す筈がなかった。オコジョを庇い、険しい表情で彼を睨み続けるムジナの額に飛び蹴りを食らわせると、時鳥はそのクッキーを奪い取った。
「何をするんだ。」
 当然のこと、カイから抗議の声が上がった。しかし、時鳥は、微塵も反省の色を見せず、「いただきます」と大きな声を上げると、大きな口を開き、むしゃむしゃとそれを食べ始めた。
「父ちゃん、ウィノナの顔を見なさいよ。父ちゃんがクッキーを取っちゃったものだから、かわいそうにウィノナが泣いているじゃない。いい大人が小さな子供を泣かせたりして、恥ずかしいと思わないの。」
 彼の一人娘であるムジナからも彼を咎める声が上がった。しかし、時鳥は、依然として反省する様子を見せなかった。それどころか、木の枝の上から、「これでも食らいやがれ」と、彼女に向かってオシッコをし始めた。
「いくら何でも今のはやり過ぎよ。さあ、早くクッキーをウィノナに返しなさい。」
 ムジナはなおもそう言い募った。だが、ホトトギスは彼女のその言葉に聞く耳を持とうとはしなかった。それどころか、嘴を大きく開くと、これ見よがしにクッキーを頬張った。
「バターをふんだんに使っていて、美味しい。頬っぺが落ちる美味しさとは、まさしくこのことだな。特に甘味料として砂糖ではなく麦芽糖を使っているのがいい。この自然の甘さがたまらない、絶妙な味だ。」
 時鳥のその言葉を聞くと、それまで何とか涙を堪えていたウィノナが堪えきれず大声を上げて泣き始めた。
「ほら見なさい、父ちゃん。ウィノナが我慢できなくなって泣いたじゃない。」
 セイラ以外の誰にどのような罵詈雑言を浴びせ掛けられようが、意にも介さない時鳥であったが、自分のことを親分と私淑しているウィノナをこのまま放って置くわけにもいかなかった。誰にも聞き取れない小さな声で「仕方がない」と呟くと、時鳥は、ポシェットから飴玉を一つ取り出した。
「ウィノナ、口を大きく開けろ。」
 その言葉に従いウィノナが口を大きく開けると、時鳥はそこを目掛けて手にしていた飴玉を放り込んだ。
「時鳥マーク特製の抹茶飴だ。どうだ、頬っぺが落ちるほど美味しいだろう。」
 その飴は、時鳥マーク設立二年セールのためだけに開発された新製品で、採算を度外視し、最高級の素材を用い作られた飴玉であった。
 そうではあったが、お茶の味、とりわけ抹茶の味は小さな子供には理解し難い。しかし、せっかく自分のために時鳥がくれた飴玉を美味しくないというわけにいかず、ウィノナは、複雑な表情を浮かべながら、得意満面の時鳥の顔をただ見上げるばかりであった。
 彼がたとえ白を黒と言ったとしても、時鳥の言うことならば何でも聞く筈のウィノナが即答しないことを怪訝に思い、時鳥は、ポシェットの中から抹茶飴をもう一つ取り出し、今度は自分の口の中に放り込んだ。
 抹茶の持つ豊かな香と深くて濃厚な味が口の中にジワリと広がった。
 こんなに美味しいのに、どうしたことだ。全く訳が分からん。
 時鳥の混迷はますます深まるばかりであった。そんな彼に、ムジナが「赤の他人のウィノナに飴玉を上げるのに、何故、父ちゃんの一人娘の私が何も貰えないのよ。依怙贔屓しないで、深緑色したその飴玉を私にもくれるべきだわ」と不満の声を上げた。
「飴玉なら、お前は幾つも持っているだろう。なのに、どうして新たに飴玉をお前に与えなければならないのだ。どうしてもと言うのなら、お前の大好物である薄荷飴と交換だな。」

ムジナの冒険 15章の続き3 [ムジナの冒険]

 オコジョとムジナが違いの体をすり合わせている様子を、カイの後ろに体を掻くし眺めていた、クロウリーの一人娘のウィノナは、オコジョのかわいらしい外見に吸い寄せられるように、近付いていった。そして、頭を撫でようと手を伸ばした。
 その瞬間、オコジョは反射的に身を屈め、ウィノナに牙を剥き出した。
 オコジョのその行動に驚き慌てて手を引っ込めたウィノナは、その円らな瞳の大粒の涙を浮かべるや否や、天地を轟かすような大声を上げて泣き始めた。
「小さい子供になってひどいことをするのよ。見損なったわ、オコジョ。」
 恋人であるムジナから叱責の声が飛ぶのと同時に、ウィノナの頭に止まっている時鳥が強い口調でオコジョを非難し始めた。
「頑是無い子供に鋭い牙を剥き、驚かす。一人前の大人のすることか。これだから、礼儀を弁えない野生動物は困るのだ。わかったら、ウィノナに詫びを入れて、そのまま、サッサと失せやがれ。」
 年齢だけを考慮すれば、ウィノナ、オコジョ、ムジナの内で最年長は人間のウィノナで、オコジョ、ムジナの順であった。体の大きさを考えても、ウィノナ、ムジナ、オコジョの順であった。それ故に何か割り切れないものを心の片隅で憶えたけれど、また、いきなり野生動物に、しかも上から手の伸ばすという失態をウィノナが演じたのけれど、彼女を驚かし、泣かす原因を作ったのは自分であり、オコジョは素直にウィノナに謝ることにした。
 とは言え、人間の謝り方など、オコジョが知っている道理がなかった。どうやって謝ったら良いのか、暫く思案した後、オコジョはウィノナに謝罪の意を表明するために彼女の方に近付こうとした。
「ウィノナ、気をつけろ。この変態鼬(いたち)は、かわいいお前をかどわかし、お前を何処かに売り飛ばす魂胆だ。サッ、逃げるんだ。」
 親分である時鳥の言葉は、彼を私淑するウィノナにとって絶対であった。時鳥のその言葉に頷くと、馬と名付けられた牛の所へテケテケと駆け寄り、その巨体の後ろに小さな体を隠した。
 時鳥に「馬」と命名されたその牛は、クロウリー家の一員であった。彼の妹分といえるウィノナに頼られ、「馬」は、大きく体を身震いさせると、頭を低くしてオコジョに角を突きつけた。
「やい、スケベオコジョ、俺の大切な妹分に手を出すとは許せない。それ以上一歩でも近寄ったら、この角の錆にしてやがる。」
「誤解だ。俺は、ただ脅かして済まなかったとその女の子に謝りたいだけだ。」
 馬は、オコジョのその言葉を信じようとはしなかった。むしろ不審感と怒りを募らせた。
「世間知らずのムジナは、その言葉で騙せたかもしれないが、俺はそうはいかない。」
 ウィノナの頭の上に止まって馬とオコジョの遣り取りを楽しそうに眺めていた時鳥は、さらに馬の怒りに油を注ぐような言葉を発した。
「聞くところに拠ると、この変態鼬は、自分の外見のかわいらしさを武器に、今までに何人もの女の子を誑かし、手込めにしたという話だ。しかも、手込めにした後、人買いに売り飛ばし、その金で遊び惚けているという話だな。さあ、ともに手を携え、この変態鼬を退治しようではないか。」
 時鳥と馬の間にはこれまでに数々の確執があったが、目の前に入るオコジョが気に入らないという一点では一致していた。馬は、モーモーと鳴き、「合点承知」の意を表明すると、オコジョを目掛けて突進していった。
 虎やライオンと言った猫科の大型肉食獣の餌食になるために、牛は、鈍重であまり強くない生き物のように思われ易いが、実はかなりの戦闘力を有している。まして、「馬」と命名されたオス牛は、一トンを越す見事な体躯の持ち主であり、下手な肉食獣など問題にしない実力者であった。しかも、今、ウィノナという守るべき存在があり、馬の戦意は高揚しており、戦闘能力はさらに倍増していた。その馬の猛烈な突進を食らえば、体の小さいオコジョなど、いちころであった。
「オコジョ、その牛は本気よ。危ないから、逃げて。」
 ムジナのその叫び声が届く前に、牛の巨体が彼の眼前に近付いた。しかし、オコジョは、動揺した素振りを見せることなく、素早い身のこなしで馬の突進を遣り過ごすと、大きな牛のお尻を右の前肢で軽くペタンと叩いた。
 どんなに強い一撃でも、目標に当たらなければ、被害を与えることができない。馬と真っ向勝負をして勝てる見込みがないと判断したオコジョは、その敏捷さを活かし、徹底的に逃げ回った。
「逃げるとは卑怯千万。男なら尋常に勝負しやがれ。」
 オコジョに何度も突撃し、その都度、交わされ続け、馬は激しく息を切らせながらオコジョにそう怒鳴りつけた。
「体の大きさがここまで違ったら、勝負もヘッタクレもあるか。悔しかったら、俺を捕まえてみろ。」
 オコジョは、そう言うなり、馬にお尻を向け、そのお尻をぺんぺんと叩き、馬を挑発した。
 怒りで我を忘れている馬は、時鳥の「お前を挑発させ、無駄な突進を繰り返させ、弱らせようという魂胆だ。気をつけろ」という助言を無視し、闇雲に突進を繰り返した。時鳥の危惧する通り、幾らもしない内に馬は息が上がり、その場に座り込んでしまった。その馬の背中にオコジョは軽々と飛び乗った。そして、勝利の雄叫びを高らかに上げた。
 馬もオコジョも相手からのダメージを受けていない。時鳥のアドバイスを無視し、無謀な突進を繰り返したために息が上がり身動きが取れなくなってはいるが、時間が経てば元気を取り戻し、オコジョを追い掛け回すことができた。それ故に、オコジョと馬の喧嘩の勝負は未だついていないと言えないこともない。だから、時鳥は間髪を置くことなくオコジョの勝利宣言にクレームをつけた。
「この勝負は引き分けだ。なのに勝利の雄叫びを上げるとは、勝負を冒涜することになる。恥を知れ、この鼬野郎。」
「父ちゃん、オコジョは鼬ではないわ。私のオコジョに妙な言い掛かりをつけないで頂戴。」
 恋人であるオコジョの勝利を信じ、二人の戦いの趨勢を見守っていたムジナも、ピョンと馬の背に飛び乗ると、目を三角にして睨み付けた。それから彼女は「馬の攻撃をすべて紙一重で交わしたのよ。どう見ても、この勝負はオコジョの勝ちじゃない」と食って掛かった。
「臆病なこの鼬野郎は、臆病風に取り憑かれ、ただ逃げ回っただけだ。それに、鼬野郎は馬に何の攻撃もしていない。どうしてスケベ鼬野郎の勝ちということがありえようか。」
 彼の唯一のチャームポイントと言える、鸚鵡のように見事な冠毛を逆立て、負けじとムジナを睨み返した。それから、二人の息詰まるような睨み合いが始まった。


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