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駱駝 3章の終わり [ラクダ]

 ムジナは、右の前肢で額を押え、残りの左の前肢で一角大雪兎の体を大きく揺さ振った。
 兎、起きてよ。起きてよ、兎。
 麗しの猫を背負い、道なき道を歩いたためであろう。一角大雪兎は、何やら寝言を呟いた後、彼女に背を向け、再び熟睡し始めた。
 何のなのよ、この兎は。女の子が困っている時、大人は助けるのが務めじゃないの。私のように可愛い女の子が困っているんだから、すぐに目を覚ますべきよ。
 ムジナは更に激しく一角大雪兎の体を揺さ振り始めた。それでようやく目を覚ました一角大雪兎は、寝惚けているのであろう、目を擦りながら、「なんだ、もう朝ご飯の時間か」と問いかけてきた。
 彼女は、腫れ上がった額を右足で示しながら、こう言った。
 違うわよ、兎。タンコブがおでこにできて、痛くて堪らないから、起こしたのよ。さあ、早く私のおでこを元に戻してよ。
 一角大雪兎は、一見すると、目付きが悪く、白くて大きな兎にしか見えないけれど、様々な自然科学に精通していた。そのため、ムジナだけではなく、船員達の怪我や病気の手当てをするだけではなく、彼らの健康管理まで行っていた。正確な海図を書くだけではなく、船医として、彼は船には必須の存在になっていた。
 一角大雪兎は、ムジナのタンコブを見るや否や、呆れた様子で尋ねた。
「どうして、タンコブができたんだ。」
 そんなことはどうでもいいじゃない。とっても痛いのよ。早くタンコブを治してよ。
 一角大雪兎が持っている薬で、あるいは新たに調合した薬で船員達の怪我や病気を治すところを近くで具に見ている彼女は、何の迷いもなく彼にそう言った。しかし、一角大雪兎は「どうせ何か悪戯をしてタンコブを作ったんだろうが、そのまま放っておいてもすぐに直る。自業自得だと、諦めて眠るんだな」とつれなく突き放すと、彼女に背を向けて、横になった。
 彼のあまりに酷薄な仕打ちを目にし、ムジナは再び一角大雪兎の体を激しく揺すぶり始めた。
 愛くるしい私が痛みに苦しんでいるのよ。かわいそうと思わないの。それによ、このままだと、私は死んでしまうかもしれないわ。「痛いよ。死んじゃうよ」と泣き叫んでいる小さな子供が傍らにいるのに、その訴えに耳を傾けず、眠り続け、殺したとあったら、兎は「人でなしめ。目付きが悪いだけではなく、性根まで腐りきっている」と後ろ指を差されることになるわよ。それでもいいの。それが嫌だったら、タンコブに薬を塗って、早く治してよ。
「煩いな。眠れないだろうが。」
 煩わしそうに起き上がると、一角大雪兎は、ムジナを睨み付けた。
「それで、俺にどうして欲しいんだ。」
 あんたがいつも他の人にやっているように、お薬を塗ってよ。そうすれば、きっと私のタンコブはたちまちに治るわ。
 炎症を押さえたり、痛みを取ったり、熱を下げたり、様々な効能が薬にあるのは事実であるが、病気や怪我を治すのは、生体の有する免疫力や再生能力であり、薬はあくまでその手助けをするだけである。薬に過剰な期待を寄せるのは、主客顛倒、本末転倒な話であった。だから、一角大雪兎は、再び彼女を冷たく突き放した。
「唾でも塗って置け。その後、眠れば、朝には痛くなくなっている。」
 怪我をした動物は、傷口を舐めて、傷を癒す。何もそれは動物だけではなく、指を怪我した時、何の躊躇も感じることなく、小さな子供は指を口の中に入れる。唾液に止血効果と殺菌効果があることを本能的に知っているからである。ムジナも例外ではなく怪我を負った時、傷口をペロペロと舐める。しかし、ムジナは、唾液より人間の薬の方が効果を持っていることを知っていた。彼女は、不満気な表情を浮かべ、タンコブに効く薬を出すように迫った。
 私は、そんな嘘が通用するような小さな子供じゃないのよ。さあ、タンコブに効く薬を出して貰おうじゃない。じゃないと、私は一晩中騒いで、あんたを眠らせないようにするわよ。
「世話のかかるムジナだ。」
 彼は投げやりな様子でそう呟いた後、枕元に置いてあったリュックサックの中を覗き込んだ。
 あくまでタンコブに効く薬を探す振りをしているだけである。タンコブから出血をしているのなら、消毒をした後、止血剤を塗ったりして手当てをすることも可能であるが、ただのタンコブをたちどころに治す薬などこの世に存在していないのだから。手当てと言っても、普通は患部を冷水などで冷やし痛みを軽減するのが関の山である。彼が魔法でも使えるのならともかく、それ以外タンコブに対する有効な治療法は存在しないのだから。しかし、薬の効力を過大評価しているムジナにそのことを説明しても、「けちな兎ね。早く薬を出してよ」と文句を言われるのが関の山である。そんな彼の目に、ペパーミント味の歯磨き粉が入った。
 その歯磨き粉は、虫歯の予防のためだけではなく、歯肉炎の予防のために、彼の自作の品であり、消炎効果を有し、歯肉炎の予防にも良いとされている薄荷をふんだんに使用していた。しかも、皮膚に塗ると、薄荷はスースーとして心地良い。歯磨き粉もペースト状であり、見るからに軟膏である。タンコブの治療にどれほどの効果を発揮するか、未知であったが、少なくともそれを塗ってタンコブの具合が悪化することは考え難かったし、何よりムジナを納得させることができた。彼は、ペパーミント味の歯磨き粉を取り出すと、こんもりと盛り上がったムジナのタンコブの上に優しく塗り始めた。
 歯磨き粉を塗られた瞬間、刺激的な痛みが彼女のタンコブに走った。「何をするのよ、兎、と文句を吐ける」のとほぼ同時に、今度はタンコブがスースーとし、それまで彼女を悩ましていたタンコブの痛みが嘘のように退いていった。あまりに劇的な症状の緩和に驚き、ムジナは何度も目を瞬かせた。そんな彼女の鼻に、嗅ぎ憶えのある薄荷の匂いが届いた。
 女の子であり、ムジナは甘い物に目がなかった。その中でも、薄荷飴が彼女のお気に入りであった。えも言われぬ薄荷の甘美な香にうっとりとした表情を浮かべつつ、この香は薄荷じゃない。素敵だわ、と言った。
 ムジナの口封じのために薄荷味の歯磨き粉を塗っただけだが、予想外の薬効に、一角大雪兎は一瞬驚いて様子を見せた。しかし、すぐに不機嫌そうな表情に戻ると、「薄荷は医者いらずとも言われ、様々な薬効があるからな」と尤もらしいことを言った後、彼女に背を向け眠り始めた。
 一方、身を以って薄荷の底知れないパワーを体感したムジナは、「そうか、怪我をしたら、薄荷飴を貼り付ければいいんだ。今度怪我をしたら、試してみよう」と考えた。そんな彼女も昼間の疲れから何時しか眠りに就き、すやすやと静かな寝息を立て始めた。

駱駝 3章の続き10 [ラクダ]

 その後、ムジナは、文字通りの狸寝入りをして、麗しの猫がすやすやと静かな寝息を立てるのを待った。麗しの猫が静かな寝息を立てると、ムジナは彼女が真っ二つにした石を近くに引き寄せ、その切り口をまじまじと覗き込んだ。
 鋭利な刃物で大根を切断したような綺麗な切断面であった。「あの猫は包丁要らずね。兎のマイ包丁とどっちが良く切れるのかしら」と暢気なことを考えながら、何か手品を使ったに違いないと、引き寄せた石に噛り付いてみた。
 柔らかいのかしら、と思ったけれど、普通の石じゃない。何で、猫の手で石を割ることができたのだろう。
 ムジナはペタンと腰を下ろすと、その秘密を解明しようと、腕組みをして考え始めた。
 石を割ることは一見難しく思えるが、実は簡単なのかもしれない。そんなことはできないという思い込みがマイナスエネルギーを周囲に放出し、そのマイナスエネルギーが体に悪影響を及ぼし、石を割らせないのかもしれない。お腹が空いて空いて死ぬのではと思う時にご飯を食べると、ご飯に食べることに熱中して、熱さ寒さを感じないじゃない。それと同じで、できるという確固とした確信が信じられないエネルギーを生み出すのかもしれない。だとすれば、石が割れると思い込めば、わたしでもあの猫のように石を前肢で割れるのかもしれない。
 随分と屈折した論理であるが、思い込めば石を割れるという結論に到達したムジナは、近くの石を拾い上げると、それを銜えて森の中に入っていった。麗しの猫の姿が見えない所にまで来ると、彼女は加えていた石を放り投げ、麗しの猫がしたのと同じように落下する石を横薙ぎにした。
 石は無残に地面に落ちた。真っ赤に腫れ上がった右の前肢に息をフーフーと吹きかけながら、彼女は無残に地面に転がっている石を見た。
 何で、石が割れないのよ。変じゃない。
 猫とムジナでは手の形が違うからだろうか。ムジナは、猫のように器用に前肢を使えないものね。有り得ない話ではないわ。
 確固とした信念があれば、どのような難事も解決できると信じて疑わない、良く言えば理想主義者、悪く言えば無知のムジナは、再び腕組みをして、どのようにすれば石を割れるか考え始めた。
 なかなかの難問ね。そう言えば、父ちゃんが私のカイのおでこを嘴で突ついた時、私が、「父ちゃん、酷い」と文句を付けたら、人間の骨でおでこの骨は一番硬くて丈夫なんだ、と言ったことがあったわね。人間がそうなら、きっとムジナも一緒よね。
 その結論に達したものの、頭突きで石を割ることはさすがに躊躇われた。そこで、彼女は、本当に大丈夫であろうかと、恐る恐る石に軽く頭突きをしてみた。
 痛くないわ。これなら、大丈夫ね。
 自分の結論に更なる確信を深めた彼女は、石を口に銜え、空高く石を放り投げた。石が落下してくると、石を木っ端微塵に粉砕するために、それをめがけ思いっきりジャンプした。
 空手の試割りなどで、高く積まれた瓦や氷柱を数枚重ね、気合と共に頭突きで一気に割るデモンストレーションをすることがある。そのことから容易に推測できるように、一見原始的に見える頭突きは、空手のパンチやキックに匹敵する恐るべき破壊力を有する技である。とは言え、それは死ぬような修行をした後に初めて可能になる技であり、素人の頭突きが破壊力に飛んだ攻撃であることを意味しない。案の定、落下する石にジャンプまでして頭突きを食らわせた彼女の目に火花が飛んだ。それだけでは済まず、彼女のおでこには大きな瘤ができてしまった。おでこを襲う激しい痛みから、彼女は瘤を前肢で押さえながら暫く地面に伏せた。痛みが少し退き、何とか動けるようになると、彼女は円らな瞳に大粒の涙を幾つも浮かべ、自分の窮状を告げるために一角兎の所に向かい歩き始めた。


駱駝 3章の続き9 [ラクダ]

 戦の女神を奉る神殿に居候になっているムジナは、身近で人間の格闘術を具に目にし、それがどのようなものであるか見知っていた。麗しの猫の見せた一連の攻撃は、猫族本来の攻撃法ではなく、明らかに人間の格闘術の一つである空手の影響を色濃く受けていることを見て取ることができた。しかも、かなりの技量である。何故、猫が空手を知っているのか疑問に思い、ムジナは思い切って麗しの猫にそのことを尋ねてみた。
 さっきのは空手でしょう。私セイラ姉ちゃんが空手の稽古をしているのをいつも見ているからすぐに分かったわ。でも、どうして猫が空手を使うのよ。
 ただの狸と思っていた彼女の口から「空手」と言う予期せぬ言葉に、それまでうつらうつらと眠っていた麗しの猫は、一瞬、目を見開き、驚いた様子を見せた。しかし、すぐさま目を閉じ、いつものように無視し始めた。
 ねえねえ、何でもよ。何で猫が空手を知っているのよ。
 煩くつきまとうムジナに閉口し、麗しの猫は彼女の顔に軽い猫パンチを食らわし、口を塞ぐと、煩わしそうに話し始めた。
「昔の飼い主が空手をやっていた。それを見ているうちに覚えただけ。私は疲れているの。だから、静かにしなさいよ、あんた。」
 哺乳動物一の運動能力を有する猫にしても、空手を側で見ているだけで、空手の技を覚え、使えるようになる筈がない。犬科の動物に比べると、前足を自由に使える猫でさえ、骨格上空手の技は使えないのである。しかも、麗しの猫がハブに見せた猫パンチは、普通の猫の猫パンチとは違って、人間のそれとは多少異なっていたが間違いなく空手の正拳突きであった。血の滲むような稽古をしないと、猫が正拳突きを繰り出すことはありえないのだから。ムジナは投げやりな彼女の返答に満足せず、なおも執拗に彼女に食い下がった。
 このままだと事態が収束しない。麗しの猫は、億劫そうに体を起き上がらせると、徐に話し始めた。
「まだ私が小さくて物覚えがつくかつかないかくらいの時に、空手家の家に私は貰われたのよ。まだ小さくて物が良く分からなかったから、私は自分が猫ではなく人間だと思い込んだのよ。子供が親の真似をするように、私も見よう見まねで空手を始めたというわけ。たぶん、わたしは空手の才能を持っていたのね。そして、世界初の猫の空手家が生まれたというわけよ。眠いんだから、これでいいでしょう。」
 納得できない点が多数存在したが、ムジナはなるほどと頷き返した。それから、彼女は空手の技を幾つか見せるように頼んでみた。
「仕方がないわね。」
 麗しの猫は、そう言うと、近くの意志を一つ拾い上げ、空に放り投げた。
「空手は見世物ではないから、一度きりね。」
 麗しの猫はそう言うと、落下してくる石に空手チョップを見舞い、真っ二つにした。電光石火の早業で、何が起きたのか理解できなかった。ムジナは、真っ二つになり地面に落下した石を暫く呆然と見詰めた後、前肢をぱちぱちと打ち合わせた。
 凄いわ、猫。ねえ、一体どんな技を使ったの。教えてよ、猫。
「静かになさい。兎は私を背負って疲れているんだから。それ以上騒ぐと、力ずくで黙らせるわよ。」
 宙に浮かんでいる石を割るには人間ばなれしたスピードが必要である。血の滲むような修行をした後に得られる境地であった。空手の達人と言っても過言ではない麗しの猫の空手チョップを受けたら、どのような被害を体に受けるか分からなかった。ムジナはまだ聞きたいことが山のようにあったが、口を噤まざるを得なかった。

駱駝 3章の続き8 [ラクダ]

 茶羽鳩の発見した島は、周囲が三十キロほどあるかなり大きな島であった。危険だから船にとどまってくださいと懇願する船長の勧めを無視し、ムジナは真っ先に島に上陸すると、自分がリーダだとばかり上陸体の先頭に立ち、肩で風を切りながら歩き始めた。
 亜熱帯に入るまでにはまだかなりの距離があったが、上陸した島は緯度からは考えられないほど温暖な島で、王都ではまだ雪が残っているというのに、すでに数多くの花が咲いていた。ムジナは女の子らしく、暫く歩いては、足を止め、色鮮やかな花に近づくと、その匂いを嗅ぎ、時に花を食べたりして、それらを愛でた。
 一方、一角大雪兎はと言うと、麗しの猫に危険が及ばないように、彼女の少し後方を歩き、警戒にあたっていた。時折、彼女の細くて長い優雅な動きをする尻尾に見とれていたが。
 瞬発力に富み、機敏な動きを見せる家猫は、長時間の歩行に適していない。麗しの猫は、歩き始めてから十分ほどすると、疲れた様子を見せ始めた。その様子を見取った船員が彼女を抱き上げようとすると、一角大雪兎はただでも恐い目を更に剣呑なものにして、船員を睨み付けた。船員が彼の眼光に怯んだ様子を見せると、背負っていたリュックサックを胸のほうに回し、彼は彼女を背負い歩き始めた。
 一角大雪兎のその行動を目にしたムジナは、自分にはついぞ見せなかった彼の優しさに憤慨し、不満に満ちた視線を彼に向けた。
 どうしてそんなに猫を甘やかすのよ。甘やかすと、猫は増長するだけよ。ただでも鼻もちならないのに、これ以上傲慢になったらどうするのよ。
「もてない女の僻みね。」
 麗しの猫にそう切り捨てられてしまった。そこで、ムジナは、憤りを募らせ、鬱憤をぶつける対象を周囲に求め始めた。そんな彼女の目に体長二メートルを越す大ハブが入った。彼女はギョッとした表情を浮かべると、それを無視することにした。毒蛇といえ、蛇である。餌となる鼠や小鳥などに襲いかかるとき、危害を加えようとする外敵以外、無闇矢鱈と噛み付くような真似はしない。少なくとも、餌にならない離れている相手にこちらから忍び寄って噛みつくような真似はしない。そのため、気づかない振りをして放っておけば、草むらの影でこちらの様子を恐々見ている大ハブは襲うこちらに襲いかかることはない。そのことを知るムジナは、敢然と無視することにした。
 多くの動物は毒蛇を恐れる。猪のように蝮を好む哺乳動物もいるが、大概の哺乳動物は毒蛇を見かけると逃げる。だが、一角大雪兎の背に負ぶさっていた麗しの猫は、ハブの立てた微かな音を聞きつけると、素早い動きで駆け寄り、早速ハブにちょっかいを出し始めた。
 釜首を擡げ、威嚇するハブに怯む気配を微塵も見せることなく、麗しの猫は、挑発するかのようにお尻をかわいらしく何度も振り始めた。
 猫が狩りをする時に見せる特有の動きである。襲いかかるタイミングを計っているとも、準備体操をしているとも、そうすることによりはやる気持ちを押さえているとも言われている。
 一方、彼女のその動きを目にしたハブは身の危険を感じ取り、先手必勝とばかりに毒を彼女に吐きつけた。
 普通の毒蛇は毒を相手に吐き出すことはできない。毒牙が相手に触れた瞬間、毒が抽出されるようになっているためである。だが、一部の毒蛇は、相手に向かって毒を吐き出すできる。目に入れば死なないまでも失明は免り得ない。どういうわけか、そのハブはその技を身に付けていた。そのため、麗しの猫は、予想外の蛇のその攻撃に驚いた様子を見せたが、横に飛びのけ難なくその攻撃を回避した。
「やるじゃない、あんた。ハブの癖に、そんな芸当を身に付けているとは驚きね。」
 余裕を見せる麗しの猫に、ハブはまたしても毒を吐いた。
「馬鹿じゃないのあんた。そんな虚仮脅しは一度だけしか通用しないわ。」
 麗しの猫は、身を低くしてそれをやり過ごすと、ハブに向かって飛びついた。すれ違いざまにハブの頭に猫パンチを食らわし、更に長い尻尾を鞭のようにしなやかに使い、ハブの頬を軽く嫐った。
 一幅の絵のような鮮やかな攻撃に、それを目にした船員達からヤンヤヤンヤの歓声が上がった。うるわしの猫は、その歓声に尻尾を振って答えると、「遊びはこれまでよ」と、ハブの顔面に猫パンチを三発連打した後、止めの前蹴りをハブの顎に放った。人間の空手家のような見事な一連の攻撃に、気を失ったハブは後方へと吹き飛ばされた。
「毒を吐くハブだからもっと強いのかと思ったら、全然見かけ倒しじゃない。これでは準備運動にもならないわ」
 麗しの猫は、そう呟くと、失神しているハブの所に行き、活を入れ、意識を取り戻させた。
「ハブにしては遣るわね、あんた。より高見を目指すつもりなら、弟子にしてやっもいいわよ、ハブ。」
 蛇には聴覚が存在しない。よしんば彼女の声が聞こえたとしても、猫語を蛇が理解できることはない。よろよろと起き上がったハブが彼女の発言を理解できるはずはなかったが、格闘家に言葉は不要である。死力を尽くし戦った物同士には理屈では量れない共感が存在する。ハブは麗しの猫の足下にゆっくりと近づくと、頭を低くして弟子入りを申し出た。
「分かったわ。ともに最強を目指しましょう。」
 うるわしの猫はハブを従え隊列に戻ると、信じられない光景を目にし唖然としている一角大雪兎の背に飛び乗った。


駱駝 3章の続き7 [ラクダ]

 その後、ホトトギスは、船長と茶羽鳩と何度も詳細な打ち合わせをし、二三日船上生活を楽しんだ後、船員たちが釣り上げた魚をおみやげに持ち、王都へと帰っていった。幾度となく騒動を引き起こす父親がいなくなり、見送りを終えたムジナは、船長室へと向かった。
 彼女が船長室に向かったのは、美味しいお菓子があるかも知れないという淡い期待を抱いていたからであった。だが、彼女の虫の好い期待は、船長室に入った瞬間無惨に打ち砕かれた。彼女の父親である食いしん坊のホトトギスが帰りの駄賃とばかりに船長室のお菓子やドライフルーツを根こそぎにしたからであった。ムジナは目を覆いたくなるような現実に打ちのめされ、しばらく身動きが取れないでいた。そんな彼女を哀れみ、船長は彼女の体を抱き上げ、膝の上に下ろすと体を優しく撫で始めた。
「会長は、食べ物を目になさると、性格が豹変しますから。あの性格がないと、部下思いの申し分のない会長なのですが。」
 人間の言葉であり、船長が何を言っているのか彼女には理解できなかったが、ムジナはそうなのよと頷き返した後、背負っているリュックサックから飴玉を一つ取り出し、気前良く船長の方にそれを差し出した。
 彼女の涎が付いていなかったら、甘い物に目のない船長は受け取ったかも分からないが、船長は、「お嬢さんのお気持ちだけで結構ですよ」と笑い、それを受け取らなかった。ムジナは、しょうがないので、それを嘗めながら、船長の膝の上で暫く時を過ごすことにした。飴玉が半分ほど溶けた時、何かを発見したらしい茶羽鳩が船長室に入ってきた。テーブルの上に広げられている地図の上に舞い降りると、彼は嘴で地図の一点を突きそこに向かうように指示した。
 船員の命と船を預かる最高責任者は、ムジナを膝の上に置いている船長であるが、茶羽鳩はホトトギスマークの最高幹部会の構成員の一人であり、彼の上司であった。船員や船に明らかな危険があったり、正当な理由がない限り、上司である茶羽鳩の命令を拒否できる立場になかった。船長は、一瞬困ったと言う表情を浮かべたが、彼の指し示した方向に船を向かうように船員たちに指示を出した。その指示を受けて、ムジナも船首に向かい、警戒の任に付就き始めた。
 三十分ほど進んだ時、島影が水平線の向こうに微かに見えてきた。そのことを報告するため、彼女は船長室へと脱兎の勢いで駆け出していった。


駱駝 3章の続き6 [ラクダ]

 神殿では粗食に甘んじざるを得ないホトトギスは、テーブルの上に所狭しと並べられているご馳走を目にし、嘆息交じりの歓声を上げた。そして、例によって「ご飯だ、ご飯だ嬉しいな」と叫びながら喜びの舞いを始めた。その姿をあきれた様子で見詰める、彼の一人娘であるムジナの視線に気づくと、「ごほん」と咳払いを一つした後、両方の翼を嘴の前で合わせ、頂ますをするや否や、猛然とご馳走を貪り始めた。
「ホトトギスマークの干物もおいしいが、やはり魚は新鮮なのが一番だ。」
 半分ほど食べた所で、ようやく一息吐いたらしく、ホトトギスはスープを啜りながら料理の感想を漏らした。
 新鮮なおいしい魚があれば何も要らない麗しの猫とは違って、連日の魚料理にムジナはいささか食傷気味であった。「たまにはお肉も食べたいわ」と不満そうな表情を浮かべると、それを見とがめたホトトギスが父親らしく早速説教を始めた。
「世の中には、食べたくても満足にご飯を食べられないものが多数いる。だから、ご飯にどんなものが出されても、我ままを言ってはいけない。まして、お前は南瓜や大根さえ満足に食べられないでいる父ちゃんとはとは違って、こんなご馳走を毎日食べられるのだろう。口が避けても、そんなことを言ってはいけない。罰が当たって、口が裂けてしまうからな。」
 口が裂けたら喋れないじゃない。何を馬鹿なことを言っているのよ、父ちゃん。
 最近軽口を叩く術を覚えたムジナが、間髪をおかず、そう切替えした。子供の成長は親の何よりの喜びではあるが、こうした生意気な口をたたくのはまだ早いと思い、ホトトギスは彼女を反省させるために付け合わせのパセリを彼女のご飯の上に投げ入れた。
 何をするのよ、父ちゃん。
「何をするのよではない。父ちゃんは、お前の健康を心配し、ビタミンCの豊富なパセリをわざわざやったのだ。感謝されることがあっても、非難される筋合いはないだろうが。」
 一応もっともらしく聞こえるが、パセリはホトトギスの苦手な食材であった。なんだかんだと理由を付けてはそれを彼女に押しつけていた。最初のうちこそ、父ちゃんは何て優しいんだろうと感激もしていたが、彼のそうした性癖を知るようになり、彼女はパセリを銜えホトトギスに投げつけようとした。
「パセリに含まれているビタミンCは美肌によかたんじゃないかな。色白になるだけではなく、染みソバカスも消えるという話だ。そのためだろう、年頃の娘は競うようにパセリを食べていると聞いている。麗しの猫に負けない美人になりたいと思うのならば、何をおいてもパセリを食べなくてはいけないのではないなかろうか。」
 嘴に任せ、思いつくことを口にするホトトギスの言葉は信用に足らないが、時に真実を口にするのも事実であった。そのため、ムジナは、ホトトギスの発言を完全に無視することができなかった。それ以上に、麗しの猫に対する対抗心をめらめらと燃え上がらせている彼女は、その対抗心から、パセリを投げつけるのを一先ず断念し、発言の真意を確かめるために、一角大雪兎の報に視線を向けた。
 ビタミンCが染みそばかすを消し、肌を白くすると言われているが、その効果がどの程度あるのかは大いに疑問である。しかし、ビタミンCが体に必要な栄養であることは事実なので、一角大雪兎は大きく頷いて見せた。それを目にしたムジナは、父ちゃんと違い、物知りの兎がそう言うのだから本当なのかも知れない、と思い、パセリを一呑みにした。
 「血こそ繋がっていないが、父親である自分の話より赤の他人の兎の話を信じるのか」と、ホトトギスは内心憤りを募らせたが、大嫌いなパセリをまんまと彼女に食べさせることに成功したので、そのことを敢えて問題にすることはなかった。そして、視線を自分のご飯に向けると、再び凄まじい速度でご飯を食べ始めた。
 瞬く間に自分のご飯を平らげると、彼は窓を指さし突然素っ頓狂な声を上げた。
「虎が象蝿に乗ってこちらの方に飛んでくる出はないか。一体、何をしにやってきたのだろう。ひょっとしたら、お前の顔を見に来たのかも知れないな。」
 私が目を逸らした瞬間に、私のご飯を横取りするつもりなのでしょう。父ちゃん、同じ手に何度もかかるほど、私は馬鹿じゃないわよ。
 小馬鹿にした様子でこちらを覗き込んでいるムジナの姿に軽い怒りを覚えながら、それならばと、ホトトギスは新たな手を使った。
「何かが船をめがけて泳いでいるではないか。体の大きさと泳ぎの達者さから判断するに、イタチの仲間であるラッコだろうか。いや、待て。体が藍色だぞ。だとすると、あれはオコジョかもしれない。しかし、オコジョがどうして海にいるのだろう。ひょっとしたら、お前と結婚する気になって、お前の後を追いかけてここまでやってきたのかも知れない。何て身の程を弁えないオコジョだ。そのような不遜な考えを二度と抱かないようにお仕置をするべきではなかろうか。」
 憧れの虎にはまったく反応を示さなかったムジナであるが、藍色に身を染めているオコジョという言葉に条件反射的に反応を示し、ムジナは視線を逸らした。その瞬間を見逃さず、ホトトギスは彼女のご飯から焼き魚を奪い取り、それを抱えて部屋から逃げ出していった。
 まんまと彼に騙されたムジナは、その後ろ姿を呆然と見送った。


駱駝 3章の続き5 [ラクダ]

 忍びはホトトギスの得意とするところであった。彼は足音と気配を完全に消し去り、麗しの猫の職場である船倉へと向かった。気づかれないように細心の注意をしたつもりであった。しかし、あっさりと麗しの猫に発見された。
「泥棒鼠のように物陰に隠れて何をしているの。いつまでもそこに隠れていないで、出てきたらどう。」
 「こうも簡単に居所を見付けるとは、さすが俺が見込んだだけの猫である。大した物だ」と今更ながらに感心しながら、ホトトギスは些かばつの悪い様子で彼女の前に姿を現した。甘美な二人きりの時間を邪魔され、一角大雪兎は悪い目付きを更に悪くし、死ねとばかりに睨み付けたが、ホトトギスは動じる気配を微塵も見せることなく二人の所に歩み寄った。そして、麗しの猫の前に達すると、右肩から下げているポシェットの中からマタタビを取り出し、彼女の前に静かに降ろした。
 マタタビがネコの大好物である。どんな上品な猫もマタタビを目にすると、我を忘れそれを口にし、酔っ払う。「地上最強の猫」である麗しの猫もその例外ではなかった。彼女はホトトギスの差し出したマタタビを受け取ると、早速口にした。やがて、優雅な振る舞いをいつも見せる麗しの猫からは信じられないようなとろんとした目をし、ごろんと寝転がり、しどけない格好を見せ始めた。
 彼女に夢中な一角大雪兎は、普段の彼女からは考えられないその姿を目にすると、ホトトギスと彼女の間に立ち、凄まじい形相でホトトギスを睨み付けた。
「この俺の猫に何をした、ホトトギス。返答次第によっては、ただでは置かないぞ。」
「何をしただと。見て分からんのか、兎野郎。」
 彼に負けじと、鋭い眼光でそう睨み付けると、ホトトギスは「そう言えば、兎は鼠と同じ仲間だな。鼠よりなりは大きいが、兎はお馬鹿であったな。マタタビを見知らないのも無理はない」と言い返した。
「言わしておけば、勝手なことをほざきやがる。」
 一角大雪兎はそう怒声を上げると、彼の背にあるリュックサックから銃を取り出し、銃口をオカメインコのように長いホトトギスの冠毛に向けた。
 その銃は、見た目は単なるレーザー光線銃のように見えるが、一角大雪兎が超ハイテク算盤の協力を得て完成させた重粒子発射装置であった。殆ど光速に等しい重粒子線の威力は想像できないほど破壊的な威力を有していた。ホトトギスは科学の常識に反する存在であったけれど、しかしそれでも、彼の体はあくまで物質的な存在であり、この世の物理法則から無縁ではなかった。そのため、重粒子線を浴びれば、尋常ではないダメージを受ける。一月前、彼の自慢の長い冠毛を消滅させられ、その威力を身にしみて理解していた。彼はそれから身を守るためにポシェットから鏡を取り出した。
「こんなこともあろうかと、今回はこれを準備してきた。光を百パーセント反射させる鏡だ。これがあれば、そんなものは玩具同然だ。」
 しかし、一角大雪兎がホトトギスの冠毛に向けている銃から放出されるのは超新星爆発でさえ実現できないような超高密度のエネルギーを有している重粒子線であった。ホトトギスが向けている鏡など紙同然の存在であった。
「愚かな。そんな鏡がなんの役に立つものか。お馬鹿なのは、お前の方だろうが。」
 物理学の初歩さえ理解していないようなホトトギスを、一角大雪兎は笑い飛ばした。
「お前はトンネル効果のことを言いたいのだろう。高いエネルギーの壁を突き破り、量子の一部が染み出すと言いたいんだろう。そんなことは先刻承知だ。それと同時に、染み出す量子が極一部だと言うことさえ知っている。そんな虚仮脅しは俺には通用するものか。俺の話が嘘だと言うのなら、打ってみやがれ、この兎野郎。」
「馬鹿は死ななきゃ直らないと言うな。ならば、ここで死ね、鳥頭野郎。」
 一角大雪兎はそう絶叫すると、引き金を引いた。
 アニメやSF映画では、ヒーローやヒーローを乗せた宇宙船がレーザー光線を回避するシーンがよくある。だが、光の速度は秒速三十万キロであり、これを回避することはできない。十分な距離があればレーザー光線を回避することも可能なように思えるかもしれないが、これも不可能である。どんなに距離が開いていても、情報は光速より早く伝わらないので、レーザー光線が発射された情報が伝わると同時にレーザー光線が到達し、それ故に、回避することはできないる。俊敏な動きを見せるホトトギスも当然のことながら重粒子線を回避する術はなかった。発射された重粒子線は、狙い違わず鏡を直撃し、鏡を易々と貫くと、ホトトギス自慢の冠毛を瞬間蒸発させた。
 瞬間的な出来事であり、自分の身に何が起きたか、ホトトギスは理解できなかった。ホトトギスは、予想に反し、何も変わったことが起きなかったとこに失望し、暫くきょとんとした表情を浮かべていたが、やがてカンラカンラと高笑いを始めた。
「どうやら、不発だったようだな。期待して損をした。」
「お馬鹿なのはおまえのほうだろうが。嘘だと思うのなら、頭を触ってみろ。」
 ホトトギスの耳には、負け惜しみにしか聞こえなかった。しかし、いやに余裕に満ちた一角大雪兎の様子を見ているうちに、彼は少し不安になってきた。彼は恐る恐る鏡を自分の方に向け、鏡を覗き込んでみた。オカメインコを彷彿させる彼の自慢の冠毛が消滅していることに気づき、彼は悲鳴を上げるとその場に卒倒した。

駱駝 3章の続き4 [ラクダ]

 何か悪戯をし、そのことでセイラから折檻されそうになる度に、言い訳に出てくるのが悪ガラスだ。「毎回同じような言い訳をしたら、嘘だとばれるだろうに。賢く見えるけれど、実は父ちゃんは馬鹿なのかもしれない」と思いつつ、ムジナはホトトギスにこう尋ねた。
 窓ガラスを嘴で割ることくらいはできるでしょうけど、カラスがどうやって窓を開けるのよ。どうやって、窓を開けて部屋に入ってくるのよ。
 「これは心外」と言いながら腰を上げると、ホトトギスは扉を開けて外に出た。そして、「こうやってだ」と言うと、ガラス窓に嘴を力任せに押し、僅かな隙間を開けると、頭を横にして蛞蝓が這うようにして部屋の中に入ってきた。
「カラスの知能はお前が想像しているより高い。悪知恵の長けたカラスならば、窓を開けることくらいどうと言うことはない。」
 例によって、また口から出任せを言っているのだろう、と思いながらも、ムジナは、それは驚きという表情を浮かべた。
 父ちゃんは「地上最強のホトトギス」じゃないの。カラスなんか相手にならないでしょう。
「あのカラスは『地上最強のカラス』で、父ちゃんのライバルだ。父ちゃんの小さい時からの喧嘩相手であり、とんでもなく強い。だから、たかがカラスと侮ってはならない。お前なら、カラスの一睨みでおしっこを漏らすほどの相手なのだ。分かったなら、父ちゃんに返事をしろ。」
 地上最強のホトトギスと地上最強のカラス。喧嘩をしたら、どっちが強いのだろうか。どうせ全て作り話だろうと思ったが、品質管理部長ことホトトギスマークの最高幹部の一員である十羽の鳩、麗しの猫と言い、常識の通用しない存在がムジナの身近に存在するため、あながちその存在を否定することはできなかった。そんなカラスが本当にいるのなら一度見てみたいものだと思いながら、ムジナは地上最強のカラスとホトトギスのどちらが強いのか尋ねてみた。
「もちろん、父ちゃんの方が強い。だが、あの悪ガラスは侮れない存在だ。物陰に隠れ、いつも父ちゃんのことを監視していて、父ちゃんが少しでも隙を見せると、ここぞとばかりに現れて父ちゃんの尻を蹴飛ばし、そそくさと逃げ去る。それだけならばご愛敬だが、悪ガラスは、父ちゃんが実の弟のように可愛がっているカイを苛めるのだ。カイの寝込みを襲い、鋭い嘴の一撃を額に浴びせ、失神させると、何かめぼしいものはないかと、室内を物色する。カイの所に遊びに行った時、時々カイの額が赤く腫れ上がり、物がなくなっていることがあるだろう。あれは全て悪ガラスの仕業だ。あいつはとんでもない悪党だから見てみたい、と考えては駄目だぞ。」
 それは全て父ちゃんの仕業ではないのと、父親の返答に呆れながら、彼女はホトトギスの存在を無視し蒲団の中に潜り込み、眠ろうとした。
「父ちゃんはセイラに苛められ、傷心なのだ。嘘でも優しい言葉をかけるべきだろうが。全く育て甲斐のない奴だ」
 そう愚痴を言いながら、ホトトギスは彼女の枕元に歩み寄った。そして、部屋に一角兎がいないことに気付いた彼はその行き先について彼女に尋ねた。
 兎は猫の所に行っているのよ。私の方が可愛くて魅力的なのに、兎は猫に夢中なのよ。失礼な兎だと思わない。あの兎は目付きだけでなく、目も悪いのね、きっと。そうでないと、説明がつかないじゃない。父ちゃんもそう思うでしょう。
 ホトトギスは、麗しの猫の気配がないことを確認してから、「お前は父ちゃんに似て美人だ」とだけ答えた。「子供はもう寝る時間だ。さあ寝ろ」と彼女を寝かせ付けると、ホトトギスは一角大雪兎と麗しの猫の様子を見に部屋を出て行った。


駱駝 3章の続き3 [ラクダ]

 何とか飴玉をホトトギスから返してもらったムジナは、大切そうに飴玉をリュックサックに仕舞い込んだ後、彼に問いかけた。
 ところで父ちゃん何しにやって来たのよ。
「何って、決まっているではないか。お前の顔を見にやって来たんじゃないか。他にどんな理由があると言うのだ。」
 ホトトギスは不機嫌そうにそう答えた。彼のその様子はいかにも心外という風に見えたが、そんなことで彼女の目を欺ける筈がなかった。ムジナは胡散臭い表情を浮かべ、ホトトギスの顔を横目で睨み付けた。
 父ちゃんがそれだけの理由で私の所にやって来るはずがないわ。どんな悪戯をしたのか分からないけれど、セイラ姉ちゃんの怒りを買うようなことをどうせしたんでしょう。セイラ姉ちゃんに打たれて、ここへ逃げ込んできたんでしょう。そうでなければ、父ちゃんがこんな遠くにやって来る筈がないもん。
「なんて捻くれたことを考えるんだ。父ちゃんはお前をそんな風に育てた憶えはない。これでも食らいやがれ」と絶叫するや否や、ホトトギスはムジナの額に飛び蹴りを食らわせた。尻尾を中心に弧を描きながら後方に倒れ込み、ムジナは後頭部から倒れ込んだ。硬い床の上なら、失神をしていたかもしれない。そうでなくとも、脳震盪で暫くは動けなかったであろう。だが、幸いなことに倒れ込んだのは寝台の上であった。後頭部を打ったショックで、彼女は閃いた。起き上がるや否や、彼女はその閃きを口にした。
 父ちゃん、セイラ姉ちゃんの物を何か壊したんでしょう。そうでなかったら、セイラ姉ちゃんのお八つを取ったに違いないわ。そのことをセイラ姉ちゃんに咎められ、いられなくなり、ここにやって来たに違いないわ。そうでなかったら、父ちゃんがわけもなく私の所にやって来るはずがないもの。そうなんでしょう、父ちゃん。男らしく、素直に告白したらどうなのよ。
 ムジナのあまりに一方的な決め付けに、ホトトギスは驚きのあまり嘴を大きく開いた。「それが親に対する口の利き方か。全く信じられん」と愚痴を言いながら、ホトトギスは枕の上に腰を下ろし、それから胡座を掻いた。
「お前も知っているだろう、セイラが大切にしているあの花瓶を。実はあの花瓶が割れたのだ。」
 ホトトギスの言う「あの花瓶」とは、彼の焼いた楽焼きの花瓶で、ホトトギスと戯れるセイラの絵がその表面に書かれていた。彼から渡されたその花瓶をセイラはぞんざいに扱っており、彼女が大切にしていたと言うのは、全くのでたらめであった。そのことを良く知るムジナは、「花瓶が割れてなくなったら、セイラ姉ちゃんは返って喜ぶんじゃないかしら。何で、父ちゃんがここに逃げてくるまで、セイラ姉ちゃんに打たれたのだろう」と訝りながら、もっと詳しく彼にその経緯を説明するように彼に言った。
「物の価値が分からないお前にはわからないだろうが、あの花瓶は値打ちものなんだ。あの花瓶に目を付けた悪ガラスが夜陰に乗じ部屋に忍び込み、花瓶を持ち出そうとした。父ちゃんは、悪ガラスから花瓶を死守するべく勇敢に戦ったのだが、揉み合っている内に花瓶がシーツの上に落ちてしまった。花瓶の中には当然水が入っている。その水がセイラの寝台のシーツを濡らしてしまった。そのことで父ちゃんの注意がそれているのをいいことに、カラスは『俺様の力を見せてやる』と言うや否や床に落ちている花瓶を嘴で木っ端微塵に壊した。茫然自失とその場に立ち尽くす父ちゃんに悪ガラスは『ざまあみやがれ』と言い残し、立ち去っていった。そこに、運悪く、セイラがそこに戻ってきた。『ホトトギス、これはどういうことなの。私に理解できるように説明なさい』と言うが速いか、セイラが激しく父ちゃんを打ったんだ。父ちゃんが『カラスの仕業なんだ。僕は何もしていないよ。だから、僕の言うことを信じてよ、セイラ』と幾ら事情を説明しても、セイラは『嘘よ。嘘に決まっているわ』と聞く耳を持たず父ちゃんを叩き続けたのだ。『僕の命より大切なセイラに僕が嘘を吐く筈がないでしょう』と父ちゃんが言うと、父ちゃんの体を鷲掴みにして外に投げ捨てた。父ちゃんが幾らセイラのことを愛していると言っても、父ちゃんの我慢にも限度がある。父ちゃんのかけがえの無さを思い知らせるために、ここにやって来たんだ。決してセイラの所に戻れなくてここにやって来たのではない。誤解するじゃないぞ。」


駱駝 3章の続き2 [ラクダ]

 虎の子とも言える大切な飴玉を気前良く二人に与えながら、茶羽鳩と一角大雪兎からは手酷い扱いを受けた。ムジナは自棄食いとばかりに晩ご飯を食べ、ご馳走様をすると、寝台に潜り込み、ふて寝を始めた。
 船の舳先で見張りをしているだけであり、肉体的にはそれほど疲れる作業ではない。しかし、危険な岩礁がないかと絶えず緊張を強いられ、一瞬たりとも気の休まる時はない。すっかり神経をすり減らした彼女は、寝台に入るや否やすやすやと寝息を立て始めた。
 彼女が熟睡したことを確認すると、茶羽鳩は春画を見るために例の青年船員の所に行き、一角大雪兎は麗しの猫のいる船倉へと出て行った。結果、広い室内に独りで眠る羽目になってしまっていた。人間の子供なら、目を覚ました時、広い室内に自分一人であれば、様々な想像力が働き、暗闇に脅えるであろう。気の小さな子供なら、鳴き叫び、親の助けを求めるところであろう。人間にとり、暗闇は恐怖そのものなのである。一方、夜行性のムジナにとり、闇は身を隠すべき頼もしい存在であった。夜陰に乗じ小動物に接近し、捕食することもできれば、危険な敵から身を守るべき、大切な役割を果たしていた。彼女は、一人大きな室内に取り残されても、すやすやと眠り続けていた。
 十一時を少し回った時である。ガサガサと言う少し乾いた物音がした。人間と生活するようになり野生の本能は随分と退化していたが、彼女はその音を聞き付け目を覚ました。
 泥棒が深夜に入った時、不用意に騒ぐのは危険である。泥棒が驚き、押込み強盗へと変貌することが良くあるからである。
 誰から教わらなくても、自らの経験を通じ、そのことを知っている彼女は、目を閉じたまま、耳を盛んに動かしてその様子を探っていた。そんな彼女の耳に大切な飴玉を何物かが口の中に放り込む音がした。
 たかが飴玉と思うかもしれない。しかし、飴玉は、単にムジナの大好物であるだけではなく、父親であるホトトギスと彼女が親子であることを示す絆の品でもあった。彼女が再び旅に出ることを知り、父親であるホトトギスがこっそりリュックサックの中に忍び込ませたものであった。相手が誰であろうと、それを死守する必要があった。文字通りそれまで狸寝入りをしていた彼女は、がばと体を起き上がらせると、飴玉の盗み食いをしている存在に噛み付いた。
「お前はムジナだが、親の体に牙を突き立てるとは何たる狼藉。この様な非道がまかり通って然るべきか。否、否、断じて否である。この女郎(めろう)、さっさと離しやがれ。」
 聞き覚えのある声であった。彼女は、鋭い犬歯を深々と突き立て、体をしっかりと銜えているそれを見てみた。
 父ちゃんじゃない。何で父ちゃんがここにいるのよ。
 ムジナが血相を変えて放すと、ホトトギスは、「父ちゃんの体に牙を深々と突き立てるとは全く信じられん」と愚痴を言いながら、問題の原因になった飴玉の袋を右の翼で抱えたまま彼女の方に歩み寄った。それから、新たな飴をもう一つ嘴の中に放り込んだ。
 食べる物に汚いホトトギスである。かわいい一人娘の大好物の飴玉だとしても、それを返してくれる保証は何処にもない。それどころか、飴玉の全てを食べ尽くしてしまう虞があった。彼女は慌てて詰め寄った。
 その飴玉は私の物よ。早く返してよ、父ちゃん。
「元を質せば、これは父ちゃんの物だろう。心配するな、父ちゃんがかわいい子供のお八つを全部食べる筈がないだろう。」
 ホトトギスは、右の翼でしっかりと飴玉の袋を抱えた侭で、彼女にそれを返す気配を微塵も見せなかった。冗談ではなく、このままでは父ちゃんに全て食べられてしまう。そう直感したムジナは、お腹を右の前肢で押さえながら、苦しみ始めた。
 父ちゃん、お腹が痛いよ。助けてよ、父ちゃん。
 それが偽りであることを微塵も感じさせない、ムジナの一世一代の迫真の演技であった。しかし、権謀術数の志である、彼女の父親、ホトトギスには通じなかった。「どれどれ、父ちゃんに見せてみろ」と心配した様子で彼女に近付き彼女の抱えるお腹を覗き込んだ。彼の関心が自分のお腹に集まっていることに気付くと、彼女は飴玉を奪い返すために彼の体に噛み付こうとした。だが、そのことを予期していたホトトギスは、足元にあった枕を彼女の方に蹴飛ばした。枕が彼女の顔を直撃したのを確認した後、激しい痛みから顔を前肢で押さえている彼女の頭の上にピョンと飛び乗った。
「父ちゃんを出し抜こうなど、百億万年早いのだ。」
 そう啖呵を切った後、彼はムジナの頭の上で勝利の舞を踊り始めた。